2023年6月24日放送 19:30 - 20:15 NHK総合

ブラタモリ
「関ケ原の戦い〜天下の分け目は地形にあり!?〜」

出演者
タモリ 野口葵衣 
(オープニング)
きょうの舞台は岐阜県 関ヶ原

タモリは関ケ原にやってきた。お題は「天下の分け目は地形にあり!?」。岐阜関ケ原古戦場記念館館長の小和田さんに案内してもらう。関ヶ原の戦いはわずか6時間で決着がついた。そこには地形が大きく関わっていた。関ヶ原は直径3キロほどの盆地。西から東に向かって低くなっており、高所の西軍が有利に見えるが結果は東軍の勝利だった。

キーワード
岐阜関ケ原古戦場記念館徳川家康石田三成関ケ原町(岐阜)関ヶ原の戦い関ヶ原古戦場
オープニング

オープニング映像。

#239 関ヶ原の戦い
決戦の地 関ヶ原 そもそもどんな場所?

関ヶ原の盆地の真ん中あたりにやってきた。古くからの宿場町で、1000年前から続く旅館を見つけた。元々東山道と呼ばれ都と東日本をつなぐ重要な街道だった。交通の要衝であることが決戦の地になったことに関係している。南北に険しい山地があるため東軍が西に攻め入るには関ヶ原が最短ルート。関ヶ原を突破されると琵琶湖や京都、大阪などに攻め込まれてしまうため、西軍の石田三成にとって関ヶ原は死守しなければならない場所だった。そこで石田三成とともに幼い頃から豊臣秀吉に仕えていた親友・大谷吉継に東西の通り道である東山道の守りを任せた。関ヶ原の戦いでは東軍も西軍も一致団結しておらず、全国から武将をかき集めて戦っていた。

キーワード
京都府伊勢街道北国街道大谷吉継大阪府徳川家康琵琶湖石田三成豊臣秀吉金沢(石川)関ケ原(岐阜)関ヶ原の戦い
激闘の地を巡る!戦いの序盤に注目

午前8時に開戦し、序盤の鍵を握ったのは西軍大谷隊だった。東山道を西に向かった先にある激闘の地にやってきた。数で劣る大谷隊は川を利用し橋の西側で待ち構えた。東軍は一度に橋を渡れる数が限られ、西軍は数の劣勢を地形でカバーした。関ヶ原の戦いの1000年前、このあたりには朝廷によって関所が置かれた。東から来る的に備えた防衛拠点だった。その後関所の西側と東側とを表す言葉として「関西・関東」が生まれた。さらに西軍は1400年前に東山道を行き交う人が関所しか通れないよう作られた土塁も巧みに利用し、東軍を押し返すことに成功した。

キーワード
関ケ原(岐阜)関ヶ原の戦い
東軍の大逆転劇!地形を利用した奇襲攻撃

石田三成の陣の近くにやってきた。ここでも西軍は序盤優勢に戦っていた。その中心には石田三成の右腕・島左近がいた。島左近は東軍・黒田長政の鉄砲隊に奇襲攻撃される。攻撃したのは黒田長政の鉄砲隊だった。黒田隊が通ったと考えられる道を進み、島左近がいた場所に向かった。歩いたのは断層の上にできた道で丘に隠れながら進めた。山裾に通る断層が横ずれの動きをすることで尾根が分断され、断層の周辺がもろくなり崩れてできた隙間が道となった。東軍は地形を活かして西軍に奇襲攻撃をすることができた。

キーワード
島左近石田三成関ケ原(岐阜)関ヶ原の戦い黒田長政
東軍勝利の決め手とは?激闘の地で探る!

東軍勝利の決め手となったのは小早川秀秋。小早川は戦いの前日勝手に一番標高の高い山に陣取り、開戦から何時間経っても参戦してこなかった。戦いの前日、徳川家康と石田三成はそれぞれ小早川に内密に接触していた。石田三成からは「播磨一国差し上げる 豊臣秀頼が15歳になるまで関白になっていただく」、徳川家康からは「二か国差し上げる」と褒美を提示されていた。小早川は、東軍が前に出て南宮山の西軍・毛利隊が動かない戦況を高い山から見て東軍へと寝返る。寝返った軍勢と戦ったのは大谷吉継。ふもとにいた西軍も最終的には東軍に寝返った。大谷隊は持ちこたえることができず、大谷吉継は自害した。

キーワード
南宮山大谷吉継小早川秀秋徳川家康毛利秀元石田三成関ヶ原の戦い
(エンディング)
エンディング

エンディング映像。

次回予告

次回予告。

© 2009-2024 WireAction, Inc. All Rights Reserved.