東軍勝利の決め手となったのは小早川秀秋。小早川は戦いの前日勝手に一番標高の高い山に陣取り、開戦から何時間経っても参戦してこなかった。戦いの前日、徳川家康と石田三成はそれぞれ小早川に内密に接触していた。石田三成からは「播磨一国差し上げる 豊臣秀頼が15歳になるまで関白になっていただく」、徳川家康からは「二か国差し上げる」と褒美を提示されていた。小早川は、東軍が前に出て南宮山の西軍・毛利隊が動かない戦況を高い山から見て東軍へと寝返る。寝返った軍勢と戦ったのは大谷吉継。ふもとにいた西軍も最終的には東軍に寝返った。大谷隊は持ちこたえることができず、大谷吉継は自害した。