- 出演者
- タモリ 野口葵衣
タモリらは新潟県の長岡を訪れた。今回の旅のお題は「”花火の町”は不死鳥の町!?」。かつて、長岡駅周辺一帯は長岡城本丸だったが明治維新頃に大部分が焼かれてしまったという経緯がある。長岡市はその再建した歴史から不撓不屈の精神を象徴する不死鳥をシンボルマークとしている。
オープニング映像。
タモリらは新潟県の長岡を訪れた。長岡は江戸時代から経済的に豊かな町で、多額の費用がかかる花火大会を開くことができた。長野家の経済力を支えたヒントが信濃川河川敷にあった。河川敷には様々な種類の石がみられる。そう、長岡は舟による物流が発達した場所。石が運ばれてくるように川を通じて多くの物資が集まり栄えた。
タモリらは新潟県の長岡を訪れた。続いて信濃川を背に町の中心部へ向かった。江戸時代初期の長岡の町を描いた絵図によると、河渡と呼ばれる川につくられた舟の発着場・荷揚げ場があったことが分かる。物資に積み下ろしに絶好な場所に蔵が立ち並ぶ、川港にぴったりの流れがあったことで長岡は栄えた。しかし、戊辰戦争で町は焼け野原と化した。
タモリらは新潟県の長岡を訪れた。老舗の和菓子屋には長岡の町が戊辰戦争からどう復興したのかが分かるものが残されていた。長岡復興のきっかけの一つは戊辰戦争で戦った相手側・明治新政府を代表する人々の訪問。和菓子屋には大隈重信や岩倉具視などが菓子を買いに来たという記録が残されていた。
タモリらは新潟県の長岡を訪れた。続いて東山と呼ばれる丘陵へ。そこには地下水から石油を分離する施設があった。明治中期になると長岡を支えてきた舟運が衰退するが、この長岡の丘陵で採れる石油こそが長岡が再びよみがえる原動力となっていた。後に、石油会社は花火大会のスポンサーとして登場してくる。
タモリらは新潟県の長岡を訪れた。1945年8月1日、アメリカ軍が長岡の町を爆撃。約1500人が亡くなった。さらに、2004年には新潟県中越地震に見舞われた。戦争や災害、何度困難に直面してもそのたびに乗り越えてきた長岡の町。花火は長岡の人々の希望や祈りそのものである。
エンディング映像。
次回予告が流れた。