2023年8月31日放送 23:50 - 0:35 NHK総合

ブラタモリ
セレクション「佐渡〜“黄金の島”佐渡は“キセキの島”!?〜」

出演者
タモリ 近江友里恵 
佐渡
舞台は新潟・佐渡 初体験!たらい舟

新潟・佐渡から、たらい舟に乗ったタモリと近江友里恵が挨拶。2人は佐渡に来たのが初めてだというが、タモリは「行きつけの寿司屋のオヤジが佐渡出身。なにか言えば佐渡はいいから行ってと」と話し、今回の事を話すととても喜んでくれたという。タモリは船頭の女性から促され、体験した。

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佐渡市(新潟)
舞台は新潟・佐渡 今回のお題はナニ?

金のタモテバコは金色。今回のお題は「“黄金の島”佐渡は“キセキの島”!?」だった。

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佐渡(新潟)
”黄金の島”佐渡は”キセキの島”!?

お題を聞いたタモリと近江はあまりピンと来ない様子で、タモリは「どういうこと!?」とおすぎのモノマネをした。すると、2人に急に話しかけてくる女性が現れた。女性は、生まれも育ちも佐渡というまち歩きガイドの石川喜美子さん。土産物屋に勤めながら20年間、金山の研究を続けている。石川さんによると、佐渡では江戸時代から平成元年まで金を取り続けていた。今回は、その秘密を紐解いていくという。

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おすぎ佐渡(新潟)

タモリら一行は、相川地区へ向かう。石川さんに呼び止められて振り返ると、真ん中から割れたような山が見えた。ここで金鉱脈が見つかったことをきっかけに1601年、佐渡で金の大規模な採掘が始まった。幅30m、長さ70mにわたって掘り尽くされ、「道遊の割戸」と呼ばれるという。

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相川(新潟)道遊の割戸
(オープニング)
オープニング

今回のブラタモリは新潟・佐渡。400年にわたって大量の金を生み出し、日本の経済を支えた黄金の島だ。しかし、佐渡誕生の裏には金以外のキセキがあった。

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佐渡(新潟)
佐渡
”黄金の島”の原点へ 金はどこにあった?

タモリら一行は「道遊の割戸」のある金山の麓へ向かった。大きな穴を見たタモリは「人間の欲望はすごい」と驚嘆。石川さんは、その穴を指して「白い筋が金鉱脈」と説明し、立っているその場にもあるという。発見した白い石は、石英。見本を見ると、層になった黒い部分に金が含まれていた。金は、石英と一緒に見つかることが多いという。

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金鉱脈を探すなら白い石英を追え!

石英は、地中に含まれる二酸化ケイ素の結晶だ。火山活動などで温められた地下水に溶け出して地面の割れ目に沿って上昇し、冷えて固まって石英になる。二酸化ケイ素が地下水に溶け出す時、周囲に金などの金属があると混ざる。そうして封じ込められたものが金鉱脈になるという。石川さんは、「普通、1tの石を掘って金が2~3gあると採算が合うと言われるが、佐渡金山は平均で5gくらい入っている」と、5gの金塊を見せた。

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二酸化ケイ素佐渡(新潟)石英
金発見のカギは奇跡的な地形!

石川さんが、佐渡の地形を説明。谷や川があることから、タモリは風化した金が川へ流れ、沖へながれる前に途中で止まっていたことを導き出した。

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佐渡(新潟)
潜入!巨大地下トンネル 金採掘を支えた奇跡とは

続いてタモリら一行は、道遊の割戸の西側、江戸時代に金採掘の中心となった場所へ向かった。江戸時代に掘られた金山の坑道「宗太夫坑」は観光コースとなっていて、タモリらも中に入る。掘る様子を再現した人形を見ると、たがねを手で直接持たずに工具に挟んで使っているようだ。タモリは実際に石を掘ってみて、かたい石も安全に思い切り叩けるということに気づいた。さらに石川さんは、たがねが短くなっても使えると説明。それでも、たがねは2日で1本なくなってしまっていたという。そして、佐渡の岩盤はとてもかたいのだと話した。そのおかげで、佐渡では多くの金が採れたという。

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佐渡(新潟)宗太夫坑
かたいからイイ!?キセキの岩盤

坑道をさらに奥へと進んだタモリら一行。人形のメンテナンスをしているという杉山久弥さんと出会った。近江は杉山さんについていき、普段は行けない場所へ行くようカンペで指示が出たため、奥へ向かった。一方、タモリと石川さんの2人は、かたい岩盤がなぜよかったのか、わかるところへ行くと階段を登る。すると、深い穴があり、その下には人形のふりをした近江がいた。坑道はつながっているのだという。深く掘っても岩盤がかたいために崩れにくく、地下650mまで縦横無尽に掘ることができ、多くの金を産出したことがわかった。

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タモリ体感!江戸時代の金山坑道

タモリは、江戸時代の坑道を体験することになった。奥へと進むと、江戸時代の手掘りの坑道があり、ダイナマイトで発破をかけたものでは残りにくい、きれいなアーチ状になっていた。アリの巣状に広がった坑道は、すべてつなげると約400kmになるという。暗く狭い坑道で、江戸時代には長い人で1日作業していて、人形の中には「酒が飲みたい」とつぶやくものもあった。タモリも、これには共感した様子だ。

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佐渡(新潟)宗太夫坑
金山のかた~い岩盤 一体どうできた!?

坑道から出たタモリら一行は、海岸に向かった。ここでは、かたい岩盤がどうやってできたのかを調べる。海岸で石を見ている女性に出会ったタモリら。女性は、佐渡の地質を研究する佐渡市ジオパーク推進室の市橋弥生さん。市橋さんは、子どものころは石英を拾いながら学校から帰っていたという。そして、佐渡の岩盤がかたいのは古いことにポイントがあると説明。

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佐渡ジオパーク推進協議会佐渡(新潟)
金山のかた~い岩盤 ポイントは”古さ”

約3000年前、ユーラシア大陸で起こった火山活動で佐渡の元となる部分が誕生。海に沈んだり浮かんだりして約300万年前に今の場所に落ち着いた。こうして長い年月をかけてできた岩石は、上の重みがかかってかたくなったり、水分が抜けてかたくなったりするのだという。

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佐渡(新潟)
かたくてツブツブ!金山支えた”キセキの石”

市橋さんは、佐渡のかたい岩盤は坑道を縦横無尽に掘ることを可能にしたが、さらに金を掘り出すときにも活躍したと、“キセキの石”を持ちだして説明する。タモリらがいる海岸は、このキセキの石が多く集まっている。丸い粒が集まったようなこの石の正体は、球顆流紋岩。溶岩の中に石英の丸い粒が入ったかたい石だ。江戸時代は、この海岸から石をたくさん切り出していた。このかたい粒があるため、金の加工に不可欠なあるものとして金山で使われていたという。ここで市橋さんとは別れた。

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金山のふもとで”キセキの石”を探せ!

タモリらは金山近くに戻ってきた。江戸時代には、金山から海へ向かって続く細い尾根の上の道を中心に、金山で働く人たちの町「大工町」が広がっていた。金山が発見されるまでは14~15軒しか家がなかった島に、一気に人が増えたのだという。江戸初期に、金山開発によって巨大都市が誕生したのだ。諸説あるが、その人口は5万人にものぼったとか。タモリらは、地図をたよりに“キセキの石”を使っていたとされる大床屋町へ向かう。使われていた痕跡が残る場所は、石川さんのおじさんの松永誠一さんの家。松永さんが整地している間に出てきたというのは、石臼だった。

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佐渡(新潟)
”キセキの石”は石臼 「大床屋町」で大活躍!

かたい石英が入った石は金鉱石を潰すのに最適で、効率的にすり潰すことができた。そして、町の名前の「床」は、石臼で砕いた鉱石を熱して溶かすときに使った炉「火床」を指していた。松永さんの家には、精錬するときに出る鉱石から金などを取り除いたあとのかす「カラミ」や、そのほかにも珍しい石があった。松永さんは、石が欲しいという人にあげていると話し、様々な石に興味津々のタモリに「欲しかったら持ってって!お送りするから。送り賃は無料」と気前の良さを見せた。

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佐渡(新潟)
金が集まる場所佐渡奉行所 前代未聞のお役目!?

タモリら一行は、江戸幕府の領地となった佐渡で、金山開発と政治の中心となった佐渡奉行所へ向かった。ここで、石川さんは金の詳しい生産過程が描かれた「佐渡金銀山絵巻」を披露。江戸時代、採掘された金は町で精錬され、最終的に奉行所に集められた。20mに及ぶ絵巻を見ると、小判を作っている様子が描かれていた。こうして奉行所で小判まで完成させたところは佐渡しかないのだという。江戸初期は、国内の金の半分ほどが佐渡でつくられていたという。

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小判をつくる佐渡奉行所 金を守るキセキの地形!

奉行所がおかれた理由にも地形的なキセキがあった。奉行所の奥に進むと、波の侵食で陸地が削られてできた崖「海食崖」が広がり、堀をつくる必要がない場所に奉行所が立っていることがわかった。さらに、左右は川で谷がある。城の作り方と同じ立地だった。

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黄金の島となった佐渡の当時の様子を再現した映像が流れた。

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佐渡(新潟)
金を求めて海へ!?生産量激増のヒミツ

佐渡の金の産出量について、タモリは「江戸時代初期が多く、先細っていった」と予想。しかし、実際は1940年ごろに爆発的に増えていた。一行は、その理由がわかるという場所へ向かう。海辺へ案内する石川さんに、タモリはまるで検討もつかない様子だが、浜に転がる石を見て「こういうものの中にある。実は片っ端からこれを探し当てた?」と気づいた。しかし、「するどい」と言われても、にわかには信じられない様子。実はかつて、この海岸には、一面に白い金鉱石が広がっていた。江戸時代に掘られ、質が悪くて捨てられた金鉱石が大量にある場所だったのだ。そして、最先端の精錬技術によって今まで以上の金を取り出したという。ここからとれた金の量は200億円くらい。地図を頼りに、トロッコに乗せて石を運んだ場所へ向かうことになった。

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