タモリらは金山近くに戻ってきた。江戸時代には、金山から海へ向かって続く細い尾根の上の道を中心に、金山で働く人たちの町「大工町」が広がっていた。金山が発見されるまでは14~15軒しか家がなかった島に、一気に人が増えたのだという。江戸初期に、金山開発によって巨大都市が誕生したのだ。諸説あるが、その人口は5万人にものぼったとか。タモリらは、地図をたよりに“キセキの石”を使っていたとされる大床屋町へ向かう。使われていた痕跡が残る場所は、石川さんのおじさんの松永誠一さんの家。松永さんが整地している間に出てきたというのは、石臼だった。