- 出演者
- タモリ 佐藤茉那
一行がやって来たのは大阪・枚方市、東海道五十七次を旅している。江戸時代に徳川幕府が整備した東海道。江戸と京都を結ぶ五十三次のルートが有名だが、実は途中で分かれ、大阪まで結ぶ五十七次のルートもある。今回は五十六番目の宿場町・枚方からスタート。
オープニング映像。
一行は五十六番目の宿場町・枚方で痕跡探し。まずは「枚方橋」と書かれた石柱を発見。月一で行われる「五六市」は枚方が五十六番目の宿場町だったため、そこから名付けられたという。続いて「鍵屋」と書かれた建物を発見。建物自体は江戸時代からあり、「鍵屋」という名の宿屋だという。戸は上下に開く。戸自体は軽く、滑車とおもりが上についている。
一行は建物内に潜入。江戸時代は鍵屋のすぐそばを淀川が流れていたという。川の近くに宿場を置くことで人や物が集まる便利な場所にした。伏見から大阪までの距離は約40km。街道と川は並走するようになっており、川を船でくだる人が続出。水運が便利だったため、宿場を利用する人が減少したという。
枚方宿の財政はかなり厳しかったため、客を呼び込むために川のそばで宴会をやっていたという。また、くらわんか舟が淀川を行き交う船に料理や酒を売りに行った。旅人に“淀川名物”として親しまれたという。一行はくらわんか舟で提供されていた料理「ごんぼ汁」を食べた。油揚げ・ごぼう・鶏肉・おからが入っている。当時、実際に飲んでいた人からレシピをもらって再現したという。
続いてやって来たのは五十七番目の宿場町・守口宿。堤防が東海道となり、そこに宿場ができたという。この堤防は秀吉が築いたもので少なくとも10kmはあった。その堤防に目をつけたのは家康。
続いてやって来たのは東海道五十七次のゴール・大阪中心地。東海道の出発点は江戸・日本橋、東海道五十三次のゴールは京都・三条大橋。どちらも町の中心部にかかる橋。一行はゴールにふさわしい橋を目指した。大阪のゴールとなる橋は「高麗橋」。この橋は大坂城と大坂の町をつなぐための重要な橋だった。東海道五十三次の方が有名になったのは歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」があったからだという。
エンディング映像。