- 出演者
- タモリ 佐藤茉那
オープニング映像。
成城学園にやってきた。成城学園の中学校に通っていた小澤征爾は、ピアノと同時にラグビーにも入っており試合で骨折したのがきっかけで指揮者を目指したという。学校の歴史を紹介する博物館には土地売買の契約書と領収書が展示してあった。成城学園には保護者たちが土地の売買をする組織があり、学校用の土地だけでなく住宅用の土地も確保していた。学園と保護者が一体となり、住宅用の土地を売ったお金で成城学園を作った。プロのデベロッパーが関わっていない珍しい例だという。学園は川が削ってできた傾斜地にあり、平らな場所は住宅地にした。当初グラウンドは田んぼのような場所だったため、土を埋め固めて作られた。
グラウンドの土と住宅街の関係を探る。住宅街で道路と家の敷地の高さを比べると、家の敷地が高くなっていた。道路を削った土を学園のグラウンドに使っていた。分譲当時の地図には、他の場所より細かく区切られている場所が住宅街の真ん中あった。そこに商店街を作る計画だったが、学園ができた2年後に住宅街の外側に駅ができたため計画は実現しなかった。駅を誘致したのも成城学園の地所部で、学園が持っていた土地を小田急に提供した。成城の住宅街は、分譲当初から展覧会に1か月5万人が訪れるほど憧れの街だった。
分譲当初の面影が残る洋館を訪れた。昭和14年に建てられた住宅で、敷地の広さは400坪。分譲された当初の家の敷地は基本400坪ほどで、比較的安く購入することができた。家の中には独立した子ども部屋があった。大正時代子どもは貴重な労働力だったが、成城学園が作られた以降は大切に育む存在に変化していった。
成城は江戸時代、喜多見村の一部だった。かつての喜多見村の中心部だったエリアを訪れ、喜多見の歴史を研究する今田さんに慶元寺を案内してもらった。鎌倉から続く有力武士の江戸氏は戦国時代に江戸から喜多見に拠点を移し、喜多見藩という藩の本拠地を置くことが許された。江戸城にも近く全国の大名が憧れる場所だった。
エンディング映像。
次回予告。
