- 出演者
- 藤森慎吾(オリエンタルラジオ) 石原良純 小泉孝太郎 高嶋ちさ子 渡辺瑠海 大泉洋 宮川大輔 羽田美智子 佐野晶哉(Aぇ!group)
森泉がプラチナファミリーの軽井沢の豪邸に潜入。家主は建築にこだわりが強いという。室内はガラス張りの絶景リビング、モデルルームのようなキッチン。冷蔵庫にはドン ペリニヨンなどが入っていた。バスルームも窓から緑の絶景が見れる。
森泉がプラチナファミリーの軽井沢の豪邸に潜入。寝室の壁紙は正しく貼るとベッドのフレームで花が隠れてしまうため上と下が逆に貼られている。1階のリビングの天井は8m。リビングにはピアノも置かれていた。
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- 軽井沢(長野)
森泉がプラチナファミリーの軽井沢の豪邸に潜入。丸でくり抜かれた小部屋はティールーム&キッチン。ゲストルームはベッドに統一感がないため家主はお気に召さないという。家主はガラス工芸も得意とのこと。小部屋の奥には書斎があった。さらに奥の和室にいたのは家主の假屋崎省吾。この別荘には去年は3回ほどしか来ていないという。物件価格は両手億円とのこと。
假屋崎省吾の友人で軽井沢にお家をお持ちのセレブが集結。遠藤晶子さんは創業美容室「遠藤波津子グループ」の常務取締役。3代目・4代目は上皇さまと上皇后さまのご成婚の際に美容を担当し現在も皇室の美容を担当している。広川美愛さんは軽井沢ヴィネット編集長で母は創刊者。呉順子さんは謎の実業家で別荘の庭で育てたダリアを毎週軽井沢駅に無償で提供している。遠藤波津子グループは相撲とも付き合いがあり、代表取締役社長・遠藤彬さんは白鵬の断髪式でハサミ入れを行った。軽井沢セレブあるあるは職業を聞いたり名刺交換はしないという。
謎の実業家・呉さんの別荘へ潜入。庭には約1万本のダリアが咲き誇る。リビングは50帖で室内にはミニゴルフ練習場もある。庭にはバンカーもあるがアブに刺されたため1回しか使っていないという。
石原良純&小泉孝太郎が船で神田川の源流を巡る旅。ドラマ「俺たちの旅」の舞台・たちばな荘は神田川付近。秋葉原は明治時代主流だった神田川の船の水上輸送に加え鉄道による陸上輸送を直結させた物流の一大拠点だった。秋葉原の発展は神田川が中心だった。万世橋駅は銀座のような賑わいの中央線の始発駅だったが1943年に廃止。
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- お茶の水(東京)こまちどてらい男アユグーグルコイパンダスタジオビデオリサーチホタルナユニオン映画万世橋駅中央区(東京)中央線中村雅俊俺たちの旅千代田区(東京)台東区(東京)土屋統吾郎小泉純一郎日本カメラ博物館日本橋川日本橋(東京)明治大学博物館杉並区(東京)東京都水道歴史館東京駅松本零士浜町スタジオ神田川秋葉原駅秋葉原(東京)総武本線萬田久子西郷輝彦銀座(東京)鎌田敏夫関西テレビ放送隅田川
東京メトロ丸ノ内線が地表を通り抜けるほど深く大きく掘り進める神田川の掘削事業。徳川家の命で伊達家が台地の掘削を敢行した。工事費で伊達家の財政を圧迫しつつ忠誠心も試すものだった。約半年で500mの台地を掘削し神田川を通した。伊達家の功績から別名「伊達堀」「仙台堀」と呼ばれるようになった。東京には神田川が由来の地名がいくつもある。お茶の水は徳川秀忠が掘削工事の際に湧き出た湧水をお茶で賞味し美味しかった事から命名されたとされる。かつでは将軍も愛するほどの水が流れる美しい川だった。駿河台の地名の由来は徳川家康が駿府城で没後に家臣たちが引き上げて来た際に住んだ土地。水道橋は神田上水の掛樋きは江戸で誕生した本格的な水道設備だった。
石原良純&小泉孝太郎が船で神田川の源流を巡る旅。良純は家族で初めて行った野球観戦で父が4回で帰ったという思い出を明かした。飯田橋付近からはゴムボートに乗り換え。飯田橋は川の水を使用し発展した製紙業街。
石原良純&小泉孝太郎がボートで神田川の源流を巡る旅。目白音羽エリアは湧き水が豊かな場所で神田川に湧き水が流れ込む。このエリアには松尾芭蕉も住んでいたことがあるという。
オープニング映像。
土木工事の会社を経営する越智さんの幸福時間は小太鼓の指導。所属する地区の子どもたちに教える。小太鼓は地元で150年ほど続く屋台祭りで囃子を盛り上げて今では欠かせない存在。地域交流を深めるため20歳の時に夫婦で参加した。その後、5人の子どもたちも参加させて自然と教える立場になった。
私の幸福時間の番組宣伝。
石原良純&小泉孝太郎がボートで神田川の源流を巡る旅。松尾芭蕉は神田川で河川改修の現場監督をしていたと言われている。江戸時代、コイは高級魚とされ将軍家にも献上されていた。浅瀬が続きこれ以上登れないためボートが浮かべられる場所を目指し川底を歩くことに。孝太郎は貝の化石を発見した。
石原良純&小泉孝太郎がボートで神田川の源流を巡る旅。孝太郎は貝の化石を発見した。歩くこと20分、再びボートに乗って出発。西早稲田あたりを何とか通過したが再び浅瀬に突入。良純が率先してボートを引っ張り何とか流れに乗った。
トリツカレ男の告知。
石原良純&小泉孝太郎がボートで神田川の源流を巡る旅。神田川の洪水・氾濫防止のための小さな滝を半分取り除き1997年、魚が遡上しやすいよう階段状の魚道が設置された。一行はボートから降りて総出でボートを引き上げた。
ちょっとだけエスパーの番組宣伝。
かつて死の川と呼ばれた神田川。しかし1990年代から水質が大きく改善されてきた。1964年、水質改善のため落合処理場が作られその後排水規制の法律もでき下水処理を強化。ろ過装置など高度処理をした下水処理水の放流により神田川の水質が徐々にキレイになった。1992年頃からは毎年アユの遡上が確認されている。さらに数十種類の生き物が生息するようになった。しかしコンクリートのためアユが産卵する砂地などがなく産卵までは確認できていないという。