- 出演者
- ホラン千秋 宮川大輔
地元を知り尽くした地元の達人から達人しか知らないような情報を紹介する。今回は日暮里駅からスタート。日暮里駅の看板には猫が隠れている。谷中は猫の街として有名。江戸時代から谷中にはお寺が集まり、ネズミ対策をして猫を飼うお寺が多かった。
スタートは日暮里駅で目指すゴールは上野駅となる。宮川大輔は原宿によく出かけてラフォーレ原宿に行くという。進んでいくと紙芝居をしている佐藤さんと出会った。「へっぷりむすこ」という紙芝居を見せていった。佐藤さんは紙芝居だけでなくワハハ本舗の創立メンバーで舞台やドラマでも活躍する俳優さんである。
「夕やけだんだん」について説明し「谷中銀座商店街」の中を歩いていき「ZAKUROらんぷ家」「CHAYA松緒」「肉のすずき」に立ち寄った。そしてリュックに長芋を刺していた尾上浩史のお店は「いか焼 やきや」で商店街の入口にあるお店は連日大賑わいとなっている。
よみせ通りの中を歩いていき「谷中福丸饅頭」へ立ち寄って「カスタードまんじゅう」などを注文して食べていった。
佐藤正宏さんは谷中には中々見つからない店がありそこへ行くと日本の幕末くらいのものに出会えるかもと話し、行ってみることとなった。
ホラン千秋とジモトの達人は「TRAIN TV」でもオリジナル番組を放送中。
道を歩いていくと和田さん家に到着した。和田高広さんに話を聞くとそこは幕末と同じ技法で撮影ができる写真館なのだという。約100年前のカメラがあり、撮影することとなったが撮影中6秒間は絶対に動いてはいけないとのこと。湿板写真は特殊な液体で濡らしたガラスがフィルムの代わりになるという。そして暗室へ行って5分後、完成写真を見せてもらうこととなった。
そこで3人は気になるお店を発見し「百舌珈琲店」へ入っていった。そこで紹介されたのは自家製の「ジンジャエール」であり谷中ショウガを使っているのが1つの特徴だという。「自家製ジンジャエール」はアクセントに八角が使用されていた。ここで佐藤さんの知り合いである宮崎晃吉さんに話を聞くこととなった。建築家として働きつつ、谷根千のジモト情報をネットで発信しているという。
道を歩いていくと蛇行している「へび道」があった。なぜ蛇行しているのかというと、へび道は元々川だったからである。
さらに歩いていくと藍染大通りへたどり着き約120年前の藍染川の写真が流れた。川筋に染物屋が多かったため藍染川と呼ばれたという説もあるという。
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- 藍染川
藍染大通りは週に1回毎週日曜日は歩行者天国になるという。「公園」は明治時代に輸入された概念であり、江戸時代までは広い道を公共空間として利用していたため歩行者天国は公園の元祖的な存在となっている。
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- 上野恩賜公園
そして煎餅屋にやって来て「八重垣煎餅」という文字を書いたのは誰かということになった。中に入ると答えが分かるとのことで、見つけたのは「立川談志」の名前であった。立川談志が煎餅屋の上に住んでおり、仲良くなって看板の文字を書いたという。そして店主から大量のプレゼントを貰うこととなった。
そして店主がマッチョだという店があると言い、店主の秦直樹さんは日本料理の名店で修行した凄腕料理人だと紹介した。こちらのお店「まめたん」は完全予約制の和食創作料理だという。さらに歩いていき向こうは上野ということになり「上野動物園」が見えていた。そこで佐藤正宏さんと別れて歩くこととなった。
上野公園を通りゴールの上野駅を目指すこととなった。「上野動物園」の文字を見つけ、ジャイアントパンダが2頭いることについてホラン千秋は話した。歩いていくと絵地図を描くプロだという高橋美江さんと出会い「不忍池」へ来てモデルになったものは琵琶湖だと話した。上野公園は元々徳川家康の側近である天海が建てた寛永寺の土地で、正式名称は東の比叡山という意味で「東叡山寛永寺」なのだという。また寛永寺の土地はかつて約30万5千坪あったとのこと。
宮川大輔に関係ある場所へ行くこととなった。歩いていくと「めがね之碑」があった。
近くにオススメの場所があり、珍しい塚がたくさんあった。宮川大輔に関係ある塚もあり、歩いていくと「めがね之碑」があり、徳川家康はメガネをかけていたと話した。辯天堂で祀っているのは辯財天であり、御使いはヘビのため鳥の卵をお供えしていて鳥塚が建てられたと言われているとのこと。