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本日の世界遺産はブラジルの「リオデジャネイロ:山と海との間のカリオカの景観群」。
リオデジャネイロ:山と海との間のカリオカの景観は「コルコバードのキリスト像」や海岸地域のエリアが該当する。「ポン・ヂ・アスーカル」は標高396mある岩で天辺までロープウエイで向かうことができる。コパカバーナ海岸は人の手によって作らている。デニーゼ・ヂ・アウカンタラ・ペレイラ教授は海岸から少し離れた道路の反対側が元々の波打ち際であると話す。埋め立てを行って世界的にとリゾート地として開発された。街の中心地から30km離れたバハ・ダ・チジュカでは湿地だらけとなっている。かつてはリオデジャネイロの中心地も同様の状態だったという。満潮になると度々海とつながり人が住めるような場所ではなかったという。水はけも悪く伝染病の温床にもなっていた。そんな環境に悩まされたのがおよそ500年前に到達して植民地化したポルトガル人。かれらはこうした土地を住める場所にするために埋め立てることにした。
リオの北部がかつてポルトガル人が入植したエリアで多くが湿地となっていてそこを埋め立てて出来たのが現在の旧市街。旧市街には全長270mのカリオカ水道橋がある。この辺りには飲水に適した水はなく限られた水源から水が運ばれた。19世紀には大発展したリオデジャネイロにポルトガル王国の首都に移転。王立ポルトガル図書館にはかつてポルトガルにとって重要な街だと伺わせる。20世紀初頭にはリオの人たちによってカリオカの埋め立てがはじまり、かつては波打ち際にあった堤防は現在400mも内陸に引っ込んでいる。堤防があるフラメンゴ公園には1万以上の樹木が植林されている。約100年で作られた美しい都市景観が世界遺産に登録された理由となっている。
リオデジャネイロにある世界遺産「ヴァロンゴ埠頭の考古遺跡」。ここから奴隷たちが南米に入っていった。奴隷はコーヒー農園など肉体労働の担い手として連れて来られて来ていた。埠頭の裏手に黒人奴隷の末裔たちが住んだ。その後アフリカ音楽とヨーロッパ由来の音楽が融合して 生まれたがのサンバでそのサンバから生まれたのがボサノバ。自由に歌うサンバは人々の元気の源となっている。そんな人々のサンバ熱が高まるのがリオのカーニバルで今では世界最大の祭りの一つと言われるまでになった。
さらにリオに住む人達がサンバをベースに生んだがバサノバだった。その中心地となったのが「イパネマ海岸」。イパネマ海岸は富裕層が住むエリアでそこにはバサノバを生んだアントニオ・カルロス・ジョビンの像が設置されている。古くからあるレストラン「GOROTA de Ipanema」ででジョビンは仲間たちと集まり「イパネマの娘」を作った。バサノバ歌手のホベルト・メネスカルさんはジョビンと共にバサノバを生み出した一人。当時について新しい音楽を作っていると気がついていなかったがジョビンが「僕らが作っている音楽は今までの音楽とは違う魅力がある」と言い出し、そこからどんどん広がったという。こうした芸術の源泉になったこともリオデジャネイロが世界遺産に登録された理由の一つである。
リオデジャネイロの街の裏には国立公園の森が広がり奇岩「コルコバード」が存在する。丘の上には登山鉄道が通っている。その丘のてっぺんには巨大なキリスト像が設置されている。キリスト像は台座を含め38mある。遠くからは巨大な十字架に見えるように造られている。像の周りには国立公園の森が広がっているが実は人工の森でかつてコーヒー農園のため伐採されて一度消滅したがそれを復活させた。
世界遺産の次回予告。
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