- 出演者
- 島崎和歌子 朝日奈央 加藤浩次 宇賀神メグ トシ(タカアンドトシ) タカ(タカアンドトシ)
今夜のゲストはタカアンドトシ。ブレイクまでの苦難の歴史を語る。タカの母からトシへ苦情!?
オープニング映像。
タカアンドトシは結成30周年。タカはトシがピンで仕事をするのが嫌だと語った。かつてトシがピンで仕事をした際に、タカの母親がそれを観てタカに「アンタがこの世界誘ったのに、なんでトシが1人で出てんだい?」と電話してきた。結局2人でやるようになったという。
タカアンドトシの人生で最高に美味しかった1品目は「中国料理 布袋」(札幌)のザンギ。ザンギは北海道名物の若鶏の唐揚げ。下積み時代のごちそうだったという。布袋は1997年創業。鶏もも肉を醤油ベースのタレに漬け込み、中温(約175℃)で揚げ、肉のうま味を閉じ込めた後、低温(約165℃)で揚げ、じっくり火を通す。余熱でさらにじっくり火を通し、高温(約180℃)で水分を飛ばす。こだわりの3度揚げで人気メニューとなった。酢醤油ベースの特製タレでいただく。
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- ザンギ中国料理 布袋 本店札幌(北海道)
タカアンドトシの出会いは中学時代。芸人を目指していたタカがトシを誘った。大仁田厚がプロレス団体を5万円で立ち上げた話をトシが真剣にしたら、タカは爆笑したという。高校3年の時に吉本興業が札幌に進出し、2人は所属第1号となった。札幌で名を挙げて東京に進出するつもりだったが、後輩のアップダウンに先を越されてしまい、札幌で7年の下積みを経験した。タカはアップダウン阿部と仲良しだったが遊ばなくなった。悔しくて毎日カラオケに行って尾崎豊を歌い、車の中にはスタンドマイクを入れていたという。2人は漫才を磨こうと2ヶ月に1回単独ライブをやった。
タカアンドトシの人生で最高に美味しかった2品目は「ラジャヴェッタ」のまかないパスタ。タカが上京して初めて働いたデリバリー専門のイタリアン。店長が「夢追っかけてるヤツ応援したい」と採用してくれたという。タカが働いていた頃は麻布にあったが現在は白金高輪に移転した。
上京直後のトシは引越し、警備員、パチンコなどバイトを転々とした。パチンコ店で働いた際には人生初のぎっくり腰を経験。翌日にはヘキサゴンの前説がありタカが1人で担当。ボケとツッコミを両方やることになり、ずっと変な汗が出たという。
タカアンドトシの代名詞といえば「欧米か!」。タカが作ったネタで「昔か!」というツッコミがあった。先輩たちが「昔か!」とイジってきたので、「◯◯か!」を色々試すうちにトシが「欧米か!」を思いついた。タカは自らが考え出したように語ったが、「欧米か!」を考えたのはトシだった。タカはシステムを作ったのは僕と反論した。
タカアンドトシの人生で最高に美味しかった3品目は「人情焼肉 昌苑」(札幌・すすきの)の焼き肉盛り合わせ。大ライスで食べていた。50%OFFのCMで有名だったという。
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- すすきの(北海道)人情焼肉 昌苑 三条店
タカは2児、トシは3児の父親となった。トシの家は決定権が妻にあり、トシはタカに子育ての相談をしたことはないという。タカはトシについて責任感が強く与えられた事は完璧にこなす、俺もトシの奥さんもリードしたがりで合っていると語った。妻同士は仲が良く、タカは妻からトシは子育てに協力的だと言われた。タカは妻の母と一緒に暮らしており、自分まで手伝う必要ある?と言ったら、妻は何も言わなくなってしまったという。
家事をやるか質問されたタカは「洗濯ができない」と答え、加藤浩次に「できない人なんか世の中にいません」と言われてしまった。タカが食器洗いはやると言うと、トシがタカは自分がやったと分かるように、奥さんの足音がしたら最後の1個をやると語った。
最後に「美味しいものとは?」と質問され、タカが「ミートパイ」と答えると、トシが「欧米か!」とツッコんだ。
加藤浩次&タカアンドトシがビールで乾杯。加藤が「釧路サインでかすぎる事件」について質問。釧路でラジオの収録があり、ラジオ局にサインをお願いされた。当時のタカは尾崎豊に憧れていて、尾崎と同じように名前に続けてロックンロールと書いたら、トシに「サインでけぇんだよ」と言われた。タカは怒りを我慢するあまり涙が出てしまったという。
タカは涙を隠すため目の上にタオルを置いてずっと上を向いていたという。
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- 釧路(北海道)
「人生最高レストラン」の次回予告。
「S☆1」の番組宣伝。史上初 大谷翔平 新たな歴史。
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- 大谷翔平