- 出演者
- 内村光良 大竹一樹(さまぁ~ず) 千原ジュニア 池田美優
国民的おもちゃの進化を紹介。チョロQはバックスピンが可能になり、オセロは3Dになった。プラレールのレールが青いのはおもちゃ売り場で一番目立つ色だから。発売当時サンプルに様々な色を塗って売り場の蛍光灯の下で比較したところ、一番映えた色が青色のレールだった。
オープニングの挨拶。
ジュニアが東京おもちゃショー2024でおもちゃミステリーを調査。リカちゃんは昭和42年生で累計販売数は6800万体以上。最新のリカちゃんは手足に関節がついてあらゆるポーズが可能。
リカちゃんがずっと左を見ているのは醤油工場で作られたから。発売当初は工場がまだ整備されておらず手が回らなかったため協力してくれる会社を探したところ、千葉県の醤油工場が生産を請け負ってくれた。慣れていない人でも人形を持ちながら手で描きやすいよう左向きの目に統一された。
山田邦子は平成6年にリカちゃんとコラボしてオリジナル人形「クニちゃん」を出した。山田は1000体以上のリカちゃんを所持する芸能界一のリカちゃんマニア。
回線がパンクするほど人気だったというリカちゃんと話せるリカちゃんでんわは昭和43年から続くサービスで、未だに月4万件かかってきている。人気の理由はレアキャラがいるから。過去10年で1度だけ電話に出たリカちゃんのママの音声を紹介した。
昭和50年に発売され累計1700万個以上を売り上げた黒ひげ危機一発。令和では5体が同時に飛ぶように進化した。
黒ひげ危機一発の海賊が笑顔なのは、発売当初は海賊を飛ばした人が勝ちのルールだったから。昭和のテレビ番組が「飛ばした人が負け」とルールを変更したところ世間に浸透し、公式ルールも変更された。
令和版人生ゲームは集めるのはフォロワー数。世界一のインフルエンサーを目指す。投資や金融に触れられる最新バージョンも。令和版ファービーはポップカラーで再上陸。昭和55年に発売され累計5億個以上を売り上げたルービックキューブ。昨年出た世界記録は3秒13でギネス世界記録となった。客のレベルアップに焦ったメーカーは進化したルービックキューブを開発。「ルービックキューブダブルフォーム」は形と色の2通りの正解が楽しめる。「ルービックキューブファントム」は温度によって色が変わり、考えている間に真っ黒に戻ってしまう。
宮下草薙は藤木直人がルービックキューブの師匠だと話した。土田は超合金製のロボットに変型するルービックキューブが出ると話した。
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累計9400万個以上を販売したたまごっち。最新のモデルはWi-Fiが搭載され、世界中の人と通信し国際結婚もできる。今Z世代を中心に平成レトロブームが到来中で、平成を代表するアイコンとしてたまごっちを身につける若者が急増中。
大谷翔平も愛した昭和を代表する野球盤は累計で1400万代以上を販売した。初代の発売は昭和33年。選手はこけしで、グラウンドは木製で職人の手作り。「巨人の星」を再現して生まれた消える魔球は打つのが難しすぎて1試合に何回使うかをめぐる口論が日本中で繰り広げられた。現在の野球盤のポイントはボールが宙を浮き、投げるコースも自由自在。打者も上下に動かせる。
令和のRCカー「ライブスタイル Type-ZERO」はプロペラを内蔵し、強力な上向きの風であらゆる角度を走行できる。さらにレゴブロックがJAXAの宇宙飛行士試験に使われた。
レゴブロックはJAXAの宇宙飛行士選抜試験に活用された。5人1組で課題に取り組むことでチームワークやリーダーシップをはかる狙いがあった。プラレールは鉄道会社の研修で使われた。
ベーゴマの「ベー」はバイ貝のこと。江戸時代にバイ貝をヒモで回したのが始まり。お湯をかけると髪の毛の色が変わるメルちゃんはパイロットが製造。フリクションボールペンと同じタイプのインクを使用している。稲田はアルバイトしてたときにフリクションボールペンで住所や注文を書いて唐揚げの上に置いてたら伝票が白紙になったと話した。バンダイやタミヤの工場は静岡市にある。プラモデルの全国シェアの約8割が静岡市。
晩年静岡で暮らしていた徳川家康が日本全国の宮大工を集めたことで、静岡で木材産業が発展した。その後木材模型が発展し、戦後素材がプラスチックに変わりプラモの聖地になった。久能山東照宮では家康が着用したとされる甲冑をモチーフにしたガンプラを以前販売したことがある。
本日のMVPは「『何くん?』『大田区』と言った小学生」。
次回予告。