- 出演者
- 伊集院光 副島萌生 田口壮 増田明美 テリー伊藤 岡田結実 吉田沙保里 中澤佑二
オープニング映像。
日本初の五輪中継は「昭和11年 ベルリン五輪」。競泳 女子200m平泳ぎで前畑秀子は日本女性初の金メダルを獲得。テレビ放送開始は昭和28年。1964年にはテレビ普及率は87.8%になった。東京五輪の開会式はカラー放送で、大会では「桜井孝雄」らがメダルを獲得。女子バレーボールの決勝の相手はソ連で、日本は金メダルを獲得。この試合の視聴率は66.8%でスポーツ中継の歴代1位の視聴率となった。
1976年 モントリオール五輪に出場した体操女子のナディア・コマネチは白い妖精と呼ばれた。陸上男子100mのカール・ルイスは100m・200m・400mリレー・走り幅跳びで金メダルを獲得。1984年 ロサンゼルス五輪では女子マラソンが正式種目に採用され、ガブリエラ・アンデルセンが脱水症状をおこしながらゴールを目指した。柔道 男子 無差別級 山下泰裕は2回戦で足を負傷しつつも金メダルを獲得した。
テリー伊藤ら出演者によるスタジオトーク。テリー伊藤は「(1964年東京五輪を振り返って)僕はこのとき中学3年生です」「オリンピックマーク、あれ僕らは肉眼で見たんですよね」などと話した。
1932年 アメリカで開催されたロサンゼルス五輪へ、船で渡米した日本選手団と共に、松内則三ら3人のアナウンサーも渡米。しかし、開会式直前に放送権料トラブルが発生し、実況中継の中止が決定。そこで3人は鶴田義行らの競技に対して実感放送を行った。実感放送は、実況中継のような放送だった。実感放送では「会場で観戦し展開をメモ」「会場の外からメモをもとに放送」を行った。
吉田沙保里ら出演者によるスタジオトーク。吉田沙保里は「(実感放送について)実感放送って言葉を私、今日初めて聞いたんですけども、メモだけであれだけ喋れるってのは、やっぱりプロだなって思いました」などと話した。
伊集院光ら出演者によるスタジオトーク。伊集院光は「(架空実況放送について)NHKですごい人気だったらしい」などと話した。
高度経済成長期に王貞治と長嶋茂雄が人気だった。長嶋茂雄は1957年 立教大学時代からスターで、東京六大学野球 新記録(当時)の8号ホームランを打った。1959年6月25日、プロ野球初の天覧試合がテレビで中継された。19*68年9月18日、阪神と巨人が試合を行った。また、王貞治の代名詞は一本足打法で日本刀を使った素振りで集中力を高めるなど猛特訓で身に付けた。王貞治は13年連続でホームラン王になった。1977年9月3日、世界新記録(当時)の通算756号を記録した。
テリー伊藤ら出演者によるスタジオトーク。テリー伊藤は「(自身が着ているユニフォームについて)実はこれ長嶋監督から頂いたものなんですよね」などと話した。
大相撲のテレビの実験放送は昭和27年。この時代のヒーローは栃錦と若乃花で2人の対戦はいつも日本中を熱くしていた。30年代後半、大鵬が子どもたちに人気となった。ライバルの柏戸との対決は今も語り継がれている。「巨人・大鵬・卵焼き」は流行語にもなった。千代の富士は昭和56年の初場所、北の湖と対戦して初優勝を果たした。視聴率は52.2%で大相撲中継で歴代1位となった。平成になると若貴ブームが到来。平成13年 夏場所の優勝決定戦で貴乃花と武蔵丸が対決し、貴乃花が優勝した。
テリー伊藤ら出演者によるスタジオトーク。テリー伊藤は「僕ね一番感謝しているのは巨人・大鵬・卵焼きを入れてくれたことなんですよ。うち実家が卵焼き屋でしょ」「うちの商売は儲かりました」などと話した。
陸上 女子やり投げで北口榛花は金メダルを獲得。北口榛花選手らが残した言葉はオリンピック名場面の一つ。男子マラソン 谷口浩美は競技中にコケ、試合後に「これも運ですね」などと話した。女子マラソン 有森裕子は「初めて自分で自分を褒めたいと思います」などと話した。
増田明美ら出演者によるスタジオトーク。増田明美は「(有森裕子の言葉について)本当にあの瞬間に出るひと言っていうのは、その人が出ますね」などと話した。
1995年にオリックスがプロ野球 パ・リーグで優勝。1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生。大正筋商店街では震災による火災で9割の店舗が焼失。震災した伊東正和さんによると、当時は朝仲間が集まると、だんだんオリックスが優勝に向かう話題になっていたという。
田口壮ら出演者によるスタジオトーク。田口壮は「(震災時の神戸を振り返って)一体感すごかったです。キャンプから帰ってきた時、神戸の街見て、絶対開幕できないと思いました」などと話した。
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- オリックス・バファローズ
元祖ヒーローは釜本邦茂で、1968年メキシコ五輪 3位決定戦で日本はメキシコと対戦。7ゴールをあげて得点王になった。1978年W杯アルゼンチン大会ではNHKワールドカップ中継を開始。ジーコらが出場した。1993年5月15日 Jリーグが開幕。1993年 Jリーグ開幕戦ではヴェルディ川崎と横浜マリノスが対戦し、マイヤーらが出場。1997年W杯アジア第3代表決定戦 マレーシア ジョホールバルで、岡野雅行らが、1998年W杯フランス大会では中山雅史らが、2002年W杯日韓大会では稲本潤一らが活躍した。その後も本田圭佑らヒーローが現れた。2011年女子W杯ドイツ大会では、決勝で日本がアメリカと対決してワールドカップ初優勝となった。
吉田沙保里ら出演者によるスタジオトーク。吉田沙保里は「(なでしこジャパンの優勝について)ずっと勝てなかった相手に勝ったていうのはまた大ニュースだったので」「現役のばりばり選手だった時も勇気をもらって頑張ろうって思わせてくれた試合でもありましたね」などと話した。
ドジャース 大谷翔平は50本塁打50盗塁を達成し、ホームラン王、ナ・リーグMVP、ワールドシリーズ制覇などを達成。大リーグでは野茂英雄らも活躍。上原浩治は日本選手初のワールドシリーズ胴上げ投手。松井秀喜は日本選手初のワールドシリーズMVP。イチローは日本選手初のアメリカ野球殿堂入りとなった。