2024年7月20日放送 19:30 - 20:15 NHK総合

新プロジェクトX〜挑戦者たち〜
新プロジェクトX なでしこの花咲く日まで〜サッカー女子 不屈のバトンリレー〜

出演者
有馬嘉男 森花子 本田美登里 澤穂希 
(オープニング)
なでしこの花咲く日まで〜サッカー女子 不屈のバトンリレー〜

今からわずか40年前、女性がサッカーをすることは当たり前ではなかった。これは信じた道を歩み可能性を切り拓こうとした女性たちの物語。

キーワード
2011 FIFA女子ワールドカップ山郷のぞみ澤穂希
オープニング

オープニング映像。

オープニングトーク

本日のゲストは元日本代表・澤穂希。今から40年前、日本では女性がサッカーをやりたくても楽しめる環境はほとんどなかった。

キーワード
2011 FIFA女子ワールドカップ
なでしこの花咲く日まで〜サッカー女子 不屈のバトンリレー〜
なでしこの花咲く日まで サッカー女子 不屈のバトンリレー

1971年、女子によるサッカーの国際試合が開催された。それまで様々な国で女子がサッカーをすることは実質的に禁じられてきた。しかし、女性解放運動の盛り上がりとともにサッカーの解禁を求める声も急速に広まっていった。ちょうどその頃、静岡・清水の小学校で本田美登里らがきっかけでサッカー少年団の練習に女子が加わるようになった。やがて、中学でもサッカーを続けたいという彼女たちのために女子チームが結成された。「誰だってサッカーを楽しんでいい」が監督の信念だった。グラウンドは男子チームが優先で、暗がりの狭いスペースしか使えなかったので、狭いスペースでの身のこなしやドリブルを磨いた。

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イギリス半田悦子木岡二葉杉山勝四郎清水(静岡)

2年後、わずか8チームながら女子の全国大会が始まると清水第八は大会を7連覇。しかし、彼女たちへの視線は年齢が上がるに連れ複雑なものに変わっていった。高校では男子サッカー部のマネージャーになったが、女性がサッカーをすること自体を揶揄する風潮もあった。そんな中、アジア女子選手権に向けて日本代表チームが選抜された。遠征で本田たちを驚かせたのは海外の女性選手たちの堂々とした姿。サッカーを続けることは大人になるとさらに難しくなった。野田朱美は結婚を前提に付き合っていたパートナーから「サッカーか結婚か」と言われた。神戸で教員を目指していた加治真弓は教員採用試験が代表の遠征に重なり、サッカーを選んだ。本田はいつでもサッカーができるよう、就職せずアルバイトで生きる道を選んだ。そんな折、ノルウェーの女性選手の訴えがきっかけで女子のワールドカップが開かれるかもしれないという噂が伝わってきた。

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エレン・ヴィレ香港(中国)
スタジオトーク

本田も澤も「なんで女がサッカー」と言われたことがあるという。何かを犠牲にしていたつもりはなく、サッカーが好きだらやっていたと話した。

なでしこの花咲く日まで サッカー女子 不屈のバトンリレー

待望のワールドカップがようやく実現したのはウワサから3年後のことだった。日本代表を支えてきたメンバーたちはすでに20代半ばで満身創痍だった。山口はワールドカップに向けてトレーニングに専念しようと、勤めていた工場を辞めた。一方、中学校教師となった加治は休日の遠征で学校行事を休むたび、厳しい視線にさらされた。当時、同じチームにいた13歳の澤穂希は本田の姿を間近で見ていた。ワールドカップ予選、初戦の相手は強豪・北朝鮮。1-0で勝利した試合後、本田は骨折したと判明した。

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FIFA女子ワールドカップ

ワールドカップまであと1勝のチャイニーズ・タイペイ戦。この大会でサッカーをやめると決めていた加治がPK戦を制してワールドカップ出場が決まった。本戦は3戦全敗、本田と加治は現役を引退した。ワールドカップ後、にわかに女子サッカーブームが到来した。バブル景気を追い風に発足した女子サッカーリーグにスポンサー企業が続々名乗りを上げた。だが、わずか数年でブームは終了した。本田が始めたのは女子サッカーの普及活動。日本サッカー協会に就職、自分の日当はいらないからと説得して全国で教室を開いた。澤はチームの経営難でサッカーを続ける場所を失った。

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FIFA女子ワールドカップ日本サッカー協会
スタジオトーク

当時の女子サッカーは企業チームが撤退したり、観客がほぼいない状況だったという。本田は日本代表の強化よりも、サッカーが好きな女の子を増やすことが必要なことだと思っていたという。

なでしこの花咲く日まで サッカー女子 不屈のバトンリレー

草の根のサッカー教室を続ける中で本田は小学5年生の宮間あやに出会った。この時、本田の呼びかけに応え草の根のサッカー教室の先生役を買って出たのは元祖なでしこ達。東海地区の普及に立ち上がったのは清水第八のメンバー達。本田は競技人口の少ない岡山にできた新チームの監督に就職。地元で働ける就職先の確保まで本田は奔走した。チームには宮間あやが加わった。宮間は他の選手のためにコーナーキックを磨いた。本田が普及活動を始めてから15年、この時日本代表を背負ったのは元祖なでしこの教えを受けた後輩たち。日本を出発する時、選手を追うカメラは数えるほどだった。決勝戦の前には日本の女子サッカー30年の歩みを見た。試合終了間際のコーナーキック、宮間は澤にピタリとボールを合わせた。なでしこの激闘は女子サッカーへの眼差しを一変させた。

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2011 FIFA女子ワールドカップドイツ佐々木則夫岩清水梓岩渕真奈川澄奈穂美湯郷(岡山)近賀ゆかり
スタジオトーク

当時のコーナーキックについて、澤はゾーンに入っていたと話した。本田は日本女子サッカーが文化にならないまま一過性で終わってしまう心配もあったと話した。

キーワード
2011 FIFA女子ワールドカップ
なでしこの花咲く日まで サッカー女子 不屈のバトンリレー

2021年、日本初のプロリーグWEリーグが開幕した。女子サッカーを部下にする取り組みが続く。本田はサッカーをする女性がまだ少ないウズベキスタンで代表監督に就任した。加治の学校には9年前、女子サッカー部ができた。

(エンディング)
エンディング

エンディング映像。

次回予告

新プロジェクトX〜挑戦者たち〜の次回予告。

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