2024年7月20日放送 8:15 - 9:00 NHK総合

新プロジェクトX〜挑戦者たち〜
男子バスケ 世代を越えた逆転劇〜オリンピック48年の挑戦

出演者
有馬嘉男 森花子 佐古賢一 東野智弥 馬場敏春 
(オープニング)
男子バスケ 世代を越えた逆転劇 オリンピック48年の挑戦

パリオリンピック出場を決めたバスケットボール男子日本代表。自力での出場権獲得は48年ぶり。背が低く、パワーに劣る日本は弱小国のレッテルを貼られる負け犬だった。これは世代を超え奇跡の逆転勝利に挑んだ者たちの不屈の物語。

キーワード
パリオリンピック渡邊雄太
オープニング

オープニング映像。

オープニングトーク

男子バスケは10大会連続予選敗退だった。体格の劣る日本は世界でも中々、勝てなかった。

男子バスケ 世代を越えた逆転劇〜オリンピック48年の挑戦〜
男子バスケ 世代を越えた逆転劇 オリンピック48年の挑戦

1979年バスケ男子日本代表は翌年のモスクワオリンピックを目指して猛練習を行っていた。前回モントリオール大会は出場したものの今回は強力なライバル、中国がいた。アジアの巨人2m28cmの穆鉄柱がいた。日本は鉄柱の高すぎる壁に連戦連敗を喫していた。鉄柱対策は苛烈を極めた。強靭な体を作ろうとコンタクトバッグを何度もぶつけた。必死に食らいつく若手がいた。馬場敏春当時24歳。驚きのメンタルトレーニングも課せられた。だが中国との決戦日本は1ゴール差でモスクワ行きを逃した。そしてこれが日本バスケ冬の時代の始まりとなった。身長2mの馬場。続くロサンゼルス大会への秘密兵器と期待されたが思わぬことが起きた。勤めていた保険会社で給料が下げられた。働きながら実業団チームでプレーしていたが日本ではバスケはマイナースポーツ。「宣伝にもならない」と陰口をたたかれた。日の丸を背負っても冷遇され稼ぐこともできない。馬場は次第に情熱を失い代表を辞退すると決めた。馬場が去った日本代表はロサンゼルス、ソウル、バルセロナ、アトランタと出場を逃し続けた。

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アトランタオリンピックソウルオリンピックバルセロナオリンピックモスクワオリンピックモントリオールオリンピックロサンゼルスオリンピック穆鉄柱

1990年代に 入ると、マイケル・ジョーダンのスニーカーがブームに。マンガ「スラムダンク」もヒットしバスケの認知度は高まった。しかしオリンピックに出られないこともあり国内実業団リーグはさっぱりだった。Jリーグが始まりワールドカップ出場も果たしたサッカーとは比べ物にもならなかった。そんな中、1人気を吐く選手がいた。それが佐古賢一だった。佐古は高校時代から抜きに出た選手で、北陸高校を率い全国制覇を成し遂げた。そのチームメイトに生涯忘れえぬ友がいた。西俊明は誰よりもバスケを愛する男だった。西は佐古をいつも冷静に支えていた。夢はバスケのコーチになり日本を強くすること。夢を叶えるため、西はアメリカの大学に留学した。しかし留学から1年後、がんで帰国。闘病も虚しく21歳でこの世を去った。西は、生前、西は佐古に「俺は日本一のコーチになる。お前は日本一の選手になれ。一緒にオリンピックに行こう」と言っていた。佐古は西との約束を胸に所属チームをリーグ4連覇に導き、ミスターバスケットボールと呼ばれる日本一の選手になった。だがシドニー大会も予選敗退となった。ここから不況もあり、バスケの実業団チームが次々と廃部を決めた。4連覇した佐古のチームもなくなった。

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シドニーオリンピック北陸中学校・高等学校西俊明
スタジオトーク

馬場敏春と佐古賢一がスタジオに登場。日本代表を辞退したことについて馬場敏春は「興味のない人からは仕事してよね、日本代表代表で給料をもらってるわけではない。あくまでも仕事の対価が給料になってくる」などと話した。佐古賢一は「バスケをメジャーにすこしでもお仕上げていく。それを自分たちの世代で成し遂げたい思いが強かった」などと話した。

男子バスケ 世代を越えた逆転劇 オリンピック48年の挑戦

2007年、日本代表を辞退したあと会社勤めに専念していた馬場敏春。だが50歳を手前にリストラされた。そんなある日小学生の息子が紙に将来の夢「全日本4番」と書いた。息子の名は雄大、父を超えるバスケセンスを秘めていた。雄大が中学生になると敏春は息子のために猛特訓を行った。挑んだのはダンク。ダンクをマスターしプロになると目標を掲げた雄大。だが敏春は「バスケでは食えない」とくぎを刺した。息子の夢を応援したいが自分と同じ苦労はさせたくない、複雑な親心があった。一方佐古はバスケ冬の時代の中で懸命にプレーを続けた。アキレス腱断裂の大ケガを負ってもカムバックし子どもたちの憧れであり続けた。40歳で引退、オリンピック出場はかなわなかった。それでも「世界の扉をこじあける者たちが必ず現れる。それまで決して諦めない」と思った。佐古は日本代表の強化委員長に就任。次の世代にバトンを渡す新たな戦いが幕を開けた。後にNBAプレーヤーとなる香川の高校生、渡邊雄太を代表に選出。さらに力を入れたのが将来のエースと期待する大学生、比江島慎の育成だった。佐古賢一と東野智弥と西俊明は高校の仲間だった。東野は大学進学後試合に出れずパチンコ屋に入り浸っていた。そんな東野を闘病中の西が叱った。西の死後、東野はその背中を追うように生きた。まずケのコーチになるためアメリカに渡り最理論を学んだ。その後日本代表コーチに就任。取り組んだのは永遠の課題「身長の低さ」。東野はある国に活路をお求めた。それはアルゼンチン。アルゼンチンは成人男性の平均身長がほぼ日本と同じにも関わらず、オリンピックで金メダルを獲得していた。2011年、東野は単身、アルゼンチンに飛んだ。そこで学んだのは体格に勝る相手に果敢に体をぶつけ競り勝つ独特の戦い方だった。日本代表の技術委員長に就任した東野は、アルゼンチン式の育成プログラムを導入し、選手の体感を鍛え上げた。2016年、Bリーグも発足し、オリンピックの夢を受け継ぐ若い選手たちが1人、また1人と頭角を表していった。2023年のパリへの切符がかかるワールドグループが幕をあけた。

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FIBAバスケットボールワールドカップ2023
スタジオトーク

東野智弥がスタジオに登場。西の存在を聞かれ東野智弥は「毎日、5時前に起きて、どっちが早くシューティングに行くのかそれを競争していた。勉強もクラスで1番なんですよ」などと話した。佐古賢一は「西がアンパンと牛乳が好きだから、僕はあんまりアンコ好きじゃなかったけど、今は大好きです」などと話した。

男子バスケ 世代を越えた逆転劇 オリンピック48年の挑戦

死の組で何としても勝ち点を稼がなければならない日本。監督のトム・ホーバスが選手に求めたのは勝利への「断固たる決意」だった。NBAプレーヤーの渡邊雄太は負ければ代表引退を公言。馬場雄大は父・敏春と共に磨き上げた豪快なダンクを武器に日本代表の中心選手となっていた。「バスケでは稼げない」と言いながらずっと練習につきあってくれた父。その思いに応えるためにもパリへの切符を勝ち取りバスケは夢のあるスポーツだと証明したかった。死の組での運命の試合が始まった。相手はフィンランド。NBAのスターマルカネンを筆頭に選手の半分が2m超え。日本は平均身長で7cm下回る。開始1分。マルカネンからボールを奪ったのは雄大。強烈なダンクで味方を鼓舞した。だが試合は体格に勝るフィンランドペース。雄大が外から射ぬくスリーポイントシュート、試合の流れを変えた。そしてコートに送り込まれたのは1m72cmの河村勇輝。日本は死の組で劇的な勝利、パリに望みをつないだ。

次の順位決定戦に進んだ日本。命運を握る選手がいた。それが比江島慎。武器は爆発的な攻撃力。通称「比江島スイッチ」。しかしスイッチがなかなか入らず、監督から代表をっ外されかけたこともあった。比江島は亡くなった母といつかオリンピックにでると約束していた。佐古賢一は必ずスイッチが入ると信じてきた。パリへの天王山、ベネズエラ戦が始まった。日本は負けていたが比江島はファール4つで1度ベンチに下がった。残り8分で15点差。比江島がコートに戻った。このとき比江島は極限まで集中力が研ぎ澄まされてたという。ボールが託されると、次々と3ポイントシュートを決めていった。3分の間に1人で11得点。土壇場で比江島スイッチが入った。残り2分、日本は逆転し勝利した。佐古賢一は「画面見て泣きました。お前たちだったかと思いました」などと話した。日本は48年ぶりオリンピック自力出場を決めた。

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比江島淳子
スタジオトーク

佐古賢一は「先人の馬場さんもですけど、お前たちがお前たちがとずっと言われてチャレンジしてきた。あの画面をみて、お前らがやってくれたなって。嬉しかったです」などと話した。馬場敏春は「雄大が初めて父ちゃんを超えたと思いました」などと話した。

男子バスケ 世代を越えた逆転劇 オリンピック48年の挑戦

ワールドカップの激闘から半年。宿敵中国戦で24得点を挙げ勝利に貢献した馬場雄大。その夜、父・敏春から「雄大今日の中国戦は素晴らしく良かった。これからも頑張って結果を出して行こう!」メッセージが届いた。敏春は今、週に一度地元の子どもたちにバスケを教えている。鬱屈した思いを抱き続けてきたバスケ。70歳を前に再び夢を持てるようになった。4月5日、東野智弥は亡き友、西俊明の命日に墓を訪ねた。好物の牛乳とあんパンを供えパリオリンピック出場を報告。誰よりもバスケに誠実だった西さん。その夢は二人のチームメイトを突き動かし日本のバスケを変える大きな力となった。興奮と熱気に包まれるBリーグ。パリ出場を決めたあと観客数は129万人も増えた。佐古賢一さんは今、愛知シーホース三河のシニアプロデューサー。Bリーグが盛り上がれば日本はさらに強くなる。そう信じて走り続けている。

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(エンディング)
エンディング

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