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「ソウルオリンピック」 のテレビ露出情報

1979年バスケ男子日本代表は翌年のモスクワオリンピックを目指して猛練習を行っていた。前回モントリオール大会は出場したものの今回は強力なライバル、中国がいた。アジアの巨人2m28cmの穆鉄柱がいた。日本は鉄柱の高すぎる壁に連戦連敗を喫していた。鉄柱対策は苛烈を極めた。強靭な体を作ろうとコンタクトバッグを何度もぶつけた。必死に食らいつく若手がいた。馬場敏春当時24歳。驚きのメンタルトレーニングも課せられた。だが中国との決戦日本は1ゴール差でモスクワ行きを逃した。そしてこれが日本バスケ冬の時代の始まりとなった。身長2mの馬場。続くロサンゼルス大会への秘密兵器と期待されたが思わぬことが起きた。勤めていた保険会社で給料が下げられた。働きながら実業団チームでプレーしていたが日本ではバスケはマイナースポーツ。「宣伝にもならない」と陰口をたたかれた。日の丸を背負っても冷遇され稼ぐこともできない。馬場は次第に情熱を失い代表を辞退すると決めた。馬場が去った日本代表はロサンゼルス、ソウル、バルセロナ、アトランタと出場を逃し続けた。
1990年代に 入ると、マイケル・ジョーダンのスニーカーがブームに。マンガ「スラムダンク」もヒットしバスケの認知度は高まった。しかしオリンピックに出られないこともあり国内実業団リーグはさっぱりだった。Jリーグが始まりワールドカップ出場も果たしたサッカーとは比べ物にもならなかった。そんな中、1人気を吐く選手がいた。それが佐古賢一だった。佐古は高校時代から抜きに出た選手で、北陸高校を率い全国制覇を成し遂げた。そのチームメイトに生涯忘れえぬ友がいた。西俊明は誰よりもバスケを愛する男だった。西は佐古をいつも冷静に支えていた。夢はバスケのコーチになり日本を強くすること。夢を叶えるため、西はアメリカの大学に留学した。しかし留学から1年後、がんで帰国。闘病も虚しく21歳でこの世を去った。西は、生前、西は佐古に「俺は日本一のコーチになる。お前は日本一の選手になれ。一緒にオリンピックに行こう」と言っていた。佐古は西との約束を胸に所属チームをリーグ4連覇に導き、ミスターバスケットボールと呼ばれる日本一の選手になった。だがシドニー大会も予選敗退となった。ここから不況もあり、バスケの実業団チームが次々と廃部を決めた。4連覇した佐古のチームもなくなった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年9月18日放送 19:00 - 21:58 TBS
東大王東大王最終回SP 今夜生放送で日本の頭脳No.1が決定
2ndステージは1対1のタイマンクイズ対決。伊沢と砂川が対戦し伊沢が勝利した。
川上と木村が対戦。「国旗が2色で構成されている国」「日本銀行券に肖像が描かれた人物は?」などと出題された。木村が勝利。
林と成瀬が対戦。「世界遺産の登録件数ベスト20の国は?」などと出題された。成瀬が勝利。
水上と鶴崎が対戦。「国境が隣接している国」「夏季オリンピックの歴代[…続きを読む]

2024年9月17日放送 21:00 - 22:54 日本テレビ
ザ!世界仰天ニュースグアム墜落のジャンボ機…衝撃の墜落原因
パク機長は大韓航空の優勝なパイロットで数々の功績を残しており、かつて韓国軍のパイロットとしても活躍し飛行実績も豊富だった。事故当日の1997年 8月5日の2日前、パク機長は天候不良のため日帰り予定が香港に泊まりになった。予定通りであれば翌日は休暇で1日あけてドバイ行きの便に乗るはずだった。事故前日、翌日のドバイ行きの便に休憩時間を確保できず遅い出発時間のグア[…続きを読む]

2024年8月20日放送 9:26 - 11:00 テレビ東京
なないろ日和!(特集)
今日の特集は「オシエテ!楽々おウチトレーニング 」。3人のオリンピアンが自宅でできる簡単トレーニングを伝授する。2大会で体操日本を牽引した池谷幸雄さんは腹筋を、背泳ぎのメダリストの宮下純一さんは背筋を、陸上長距離の千葉真子さんは下半身のトレーニングを紹介する。 

2024年8月19日放送 8:00 - 9:50 フジテレビ
めざまし8(ニュース)
小谷実可子は、1988年のソウル五輪で、シンクロナイズドスイミング・ソロとデュエットで銅メダルを獲得した。ことし3月に行われた世界マスターズ水泳選手権のアーティスティックスイミング混合デュエットでは、安部篤史とペアを組み、金メダルを獲得した。きのう、その際に披露した「オペラ座の怪人」をよみうりランドでパフォーマンスした。小谷実可子は、去年、約30年ぶりに競技[…続きを読む]

2024年8月15日放送 9:00 - 11:10 日本テレビ
DayDay.DayDay.PARIS
藤波選手はエクアドルのL・ジェペス グスマン選手に勝利して中学時代からの連勝記録を137連勝としていて、これは吉田沙保里さんの119連勝をも上回るものとなっている。五輪まで5か月となる今年3月には左肘じん帯を断裂したが、指導も行ってきた父・俊一さんのことを思い出しながら前を向いていたという。俊一さんは88年ソウル五輪の出場を逃していたが、親子の悲願が実を結ぶ[…続きを読む]

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