- 出演者
- 上沼恵美子 香取慎吾 上垣皓太朗
上沼さんはみのもんたさんについて「世界一忙しい方。東京の番組に来てて「次出るんだねご苦労さま!って挨拶にきて下さって毎日テレビで見てる方だと思い緊張した」などと話し、またレストランのカウンターで知らない人が隣に座っても面白いことを言うのはできないと話した。香取さんは「いろんな仕事の中で生放送もあって頑張る時にみのさんを思い出して、もっとやってるんだから自分もできるだろうって力をもらった」と話した。
ことし6月、肺炎のため89歳で亡くなったミスタープロ野球・長嶋茂雄さん。現役時代には、リーグ優勝13回、伝説のV9にも貢献した。監督時代には、リーグ優勝5回、日本一2回を経験した。プロ野球では、来季から長嶋茂雄賞が創設される。1959年の昭和天皇が初めてプロ野球を観戦される天覧試合。長嶋茂雄さんはプロ2年目。同点の膠着状態で迎えた9回裏。日程のご都合で、両陛下が退席されようとしたとき、長嶋茂雄さんがサヨナラホームランを放った。プロ野球が国民的スポーツになった瞬間だった。長嶋茂雄さんが亡くなった翌日、ドジャースのピーター・オマリー元オーナーは、長嶋茂雄さんをドジャースに招く計画があったと声明で明らかにした。1958年、長嶋茂雄さんがルーキーイヤーの年に日本で行われた日米野球。メジャー選手に引けを取らない長嶋茂雄さんのプレーに、当時のドジャースの会長が一目惚れ。後日、ドジャースのどの選手を指名してもいいから、長嶋茂雄さんをトレードしないかとラブコールを送った。巨人が長嶋茂雄さんを手放さず、この話は立ち消えとなった。実現していれば、長嶋茂雄さんが日本人初メジャー選手になっていたかもしれない。多くの明言で野球界を盛り上げた長嶋茂雄さん。1994年、日本プロ野球史上初、最終戦で同率首位同士が対決。長嶋茂雄さんは監督として、選手らに「俺たちは勝つ!勝つ!勝つ!」と声をかけた。この言葉に選手らが奮起し、巨人が見事優勝した。この試合は10.8決戦と呼ばれ、今でも野球ファンの語り草になっている。1996年7月、首位に11.5ゲーム差をつけられ、優勝は絶望的と思われたとき、長嶋茂雄さんは、「松井秀喜が40本塁打すれば、2年越しのメークドラマだ」と発言。7月9日の広島戦で、9者連続安打で一挙7点を獲得し、勝利したのを機に快進撃がスタート。シーズン後半に入り、驚異的な追い上げを見せ、8月20日、首位に躍り出た。その後、2位の広島とシーソーゲームを繰り広げ、迎えた10月6日。巨人は、中日に勝利し、11.5ゲーム差をひっくり返して優勝を果たした。この年、松井秀喜は、自己最高の38本塁打を記録。長嶋茂雄さんの「メークドラマ」は、この年の新語・流行語大賞を受賞した。
長嶋茂雄さんについて、上沼は、今で言う大谷翔平、松井秀喜がニューヨークに行った時は、長嶋茂雄さんは喜ばれただろう、いい人に恵まれると一生の宝だなどと話した。香取は、芸能界の師匠について、萩本欽一さんを挙げ、17歳の時、レギュラー番組で共演した、その頃はあまり喋れず、打ち合わせで、萩本欽一さんから「喋ってほしい時はお前を見るから、目があったら何でもいいから話しなさい」と言われた、自分から発言しているように見せてくれたなどと話した。
3年B組金八先生で服部肇役を演じた上條恒彦さんは今年7月22日に老衰のため85歳で亡くなった。このドラマで共演した武田鉄矢さんとはシリーズ32年の付き合いで、1972年には歌手として紅白歌合戦にも出場した。その後俳優としても活動を始め、実力派俳優として数多くの名ドラマに出演した。武田さんはドラマ3年B組金八先生で共演した時の思い出を振り返り、「浅井雪乃が15歳で妊娠してしまった回で職員室で先生たちがどう対応するか話し合うシーンで、熱い演技のぶつかり合いをしたのを今でも覚えている」など話した。また上條さんは行きつけの中華料理店で料理に付いているレモンを小皿に集め、絞って顔に塗って肌の保湿をしていたという。
もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろうの番組宣伝を行った。
マスカレード・ホテルの番組宣伝を行った。
ホンネ喫茶 永田町の番組宣伝を行った。
番組をTVerで配信していることを伝えた。
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俳優の下條アトムさんは今年1月29日に急性硬膜下血腫のため78歳で亡くなった。名脇役として多くの作品に出演し、世界ウルルン滞在記では1995年~2007年にかけて世界の人々と日本の視聴者を繋ぐ架け橋となった。またエディ・マーフィーさんの吹き替えでも知られていて、今でも人々の記憶の中で生き続けている。
第81代内閣総理大臣の村山富市さんは今年10月17日に老衰のために101歳で亡くなった。1994年に自民党長期政権下では初の社会党出身の総理大臣になり、在任中は阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件などの対応にあたり、長い眉毛と温かい人柄からトンちゃんの愛称で親しまれた。総理退任後にはテレビ番組で当時23歳の香取慎吾さんとも共演し、総理大臣在任期間中のエピソードを話していた。
日本が銅メダルを獲得したメキシコシティー五輪で得点王に輝いた釜本邦茂さんは今年8月10日に肺炎のため81歳で亡くなった。現役時代は日本代表として76試合に出場し、そこで75ゴールを決めるなど日本サッカー界屈指のストライカーとして知られている。元日本代表の福西崇史さんは「イメージでサッカーをできる先を行っている人で、オフでは優しい先輩だった」など話した。
NHK大河ドラマ史上最高平均視聴率39.7%を記録した独眼竜政宗で脚本を務めたジェームス三木さんは今年6月14日に肺炎のため91歳で亡くなった。香取さんも三木さんが脚本を務めたドラマ「マドンナは春風にのって」に出演した経験があり、香取さんは「僕のお芝居の始まりで、主演の三田佳子さんが飴を配っていたことを覚えている」など話した。
経済アナリストの森永卓郎さんは今年1月28日に原発不明がんのため67歳で亡くなった。ポイ活や節約術など身近な経済情報を発生し、余命4カ月と宣告されても経済アナリストとしての活動を続けた。
上沼さんは「人柄が良くないと芸が良くても後世に残るようなスターにはなれないと感じた」など話した。
