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今回は「アジアの隣人たち 台湾130年の傷痕」を特集。130年前に台湾は日清戦争の結果、日本に割譲されて半世紀の間、日本の植民地になった。日本が去った後は、敗れた蒋介石が中国大陸からやってきた。
オープニング映像。
2003年に台湾で古いフィルムが発見された。そこには植民地時代の台湾の映画が多く含まれていたという。人口の多くは漢民族が占めており、山岳地帯には先住民が住んでおり、そんな彼らに日本は同化政策をとった。作家の呉濁流はそんな日本の政策に反感を持ち中国大陸へ渡った。しかし台湾からやってきたということで大陸の人達の眼差しは冷たかったという。太平洋戦争が始まると台湾の若者も戦地に送られていった。当時の李登輝も同様だったという。1945年に日本軍は降伏し、蒋介石も勝者の一人になった。蒋介石は台湾を接収し、台湾の人達は蒋介石らに期待したが、訪れた兵士たちは日本が残した家屋や工場を接収し、横領を働いたという。大陸から来たものは外省人、台湾出身者は本省人と区別されるようになった。
1947年に本省人の不満が爆発して、発砲によって本省人に死者が出た。翌日に本省人による暴動が起こり、それが二二八事件になった。その頃、中国本土の蒋介石は毛沢東との争いをしていた。そして1949年に毛沢東は中華人民共和国が建国を発表した。蒋介石は台湾に政府を移転して、多くの外省人が流れ込んだ。その後、日本は1951年のサンフランシスコ講和会議で独立を回復したが、植民地だった台湾の地位は曖昧な状況に置かれた。一方で中国からすると台湾は中国統一のトゲになっており、中国と台湾はどちらが正統な中国なのかという争いを続けた。
1950年代の末に、毛沢東の大躍進政策が失敗すると大陸で多くの餓死者が出た。そこで台湾は大陸に向けて宣伝工作を行い、 実践さながらの訓練を行い、大陸反攻に動いていった。ただそうした中で中国が核実験に成功し、台湾は行動を急いたが、結果は失敗に終わった。一方で経済は躍進したが、大陸出身の退役兵士たちは取り残されたという。
1971年7月に米中接近があり、台湾を激震させた。このことで国連では中華人民共和国を中国の唯一の代表とする決議がなされた。日本も中国と接近して日中国交正常化をした。そして蒋介石は1975年に87歳で死去した。台湾は後ろ盾にしていたアメリカから断交されて人々は不安に陥った。1987年に台湾で戒厳令が解除されて、大陸出身者への親族訪問が解禁された。
1988年。李登輝が総統に就任した。本省人が総統になるのは初めてのことだ。そこで民主化への動きが活発になり、李登輝は総統の選出方法を直接選挙にして、選挙で李登輝は総統に選ばれた。2023年になり、APECにTSMCのモリス・チャンが出席するなど、経済的な力と政治的な発言力を見せてている。TSMCは国連脱退で孤立を深めた台湾政府が主導して設立した企業だ。現在、TSMCは台湾の守り神と言われている。台湾は外交的な孤立を経済の力で克服している。
番組の次回予告。
