- 出演者
- -
プリンセス・ダイアナの伝説の青いドレス、宮沢りえ写真集「SantaFe」の扉など、アレって今誰が持っているのかを調査する。
伝説の青いドレスは、日本人デザイナー鳥丸軍雪さん(宮崎県小林市在住)がデザインしたものだった。鳥丸さんによると「コジマさんが持っている」。そのコジマさんとは、目白ファッション&アートカレッジの副理事長をつとめている小嶋千英子さん。「(青いドレスをふくめてダイアナ妃のドレスを)合計3着持っている」「チャリティーオークションで落札した」などと小嶋さん。今回特別に、保管場所非公開という条件で、ドレスを見せてもらえることとなった。実は過去に、この学校で、ドレスをねらった盗難事件が発生していた。
サファイアブルーのドレスは、ほか2着ともに、大切に保管されていた。鑑定額6500万円。小嶋さんは「(ドレスが)この学園にあるのがありがたい」などと話した。ちなみに、ダイアナ妃は身長178cm、ウエスト約60cm。スタイル抜群だった。
坂本龍馬。薩長同盟など明治維新に貢献したとされる人物でカッコいいというイメージ。坂本龍馬と言えば歴史の教科書でおなじみの写真がある。未来を見据えるような凛々しい表情。博物館の等身大パネルや全国各地にある坂本龍馬像もみな、この立ち姿の写真をモチーフに作られているという。ワールドカップのときに話題になったサムライブルーの坂本龍馬像もこのポーズ。そんな超有名な坂本龍馬の写真に関しての情報。まず話を聞いたのは歴史写真研究科の大東文化大学・倉持基先生。坂本龍馬写真研究のスペシャリスト。倉持先生は「幕末の頃に、日本に流行っていた写真技法は湿板写真。ガラスに像を写す技法。この写真(坂本龍馬の立ち姿の写真)のオリジナルプリントだと思われる写真は確実に1枚しかない」などコメント。
「坂本龍馬のオリジナル写真って今誰が持っているんですか?」。調査を担当するのは依田美空D。まず思いついたのが坂本龍馬の子孫が持っているのではという説。ネット検索すると坂本家直径子孫のトークイベントが開かれるという情報が。トークイベントが開かれる京都。会場の京都佛立ミュージアムでは坂本龍馬展が開催中。坂本龍馬の子孫の坂本匡弘さんは眉毛や目元が龍馬に似ている。坂本家の当主を受け継いだ坂本龍馬の兄から6世代目が匡弘さんは、坂本龍馬の遺品を所有するという。今回展示されているのはその一部。近年になって発見された、坂本龍馬暗殺の5日前に書かれた直筆の手紙も展示。依田Dは坂本匡弘さんに直談判。インタビューできることに。しかし、話を聞くとオリジナル写真は持っていないのだそう。坂本匡弘さんは下関の伊藤さんがオリジナル写真を持っていると教えてくれた。
伊藤さんは家の外観がわからないということを条件に取材に応じてくれることになった。伊藤さんの祖先は江戸時代に大名やシーボルトなど海外の要人が宿泊する本陣の当主。1枚しかない坂本龍馬のオリジナル写真を持っているのだそう。坂本さんのおかげで撮影がOKに。普段は別の場所に保管してあるものを今回は特別にだしていただいた。それは伊藤家に代々伝わる写真帳の中に。そして、坂本龍馬のオリジナル写真がテレビ初公開へ。
テレビ初公開!坂本龍馬のオリジナル写真。これまで光を受けてこなかったため、160数年前、龍馬が手にした状態で写真は保存されていた。履いているのは西洋のブーツ。新しいものを取り入れる龍馬の姿勢が窺われる。髪の毛はくせ毛でボサボサ。坂本龍馬から5代前の祖先・伊藤(助太夫)九三に直接手渡されたものだという。祖先と龍馬の写真も残っている。龍馬は命を狙われる身。信頼できる伊藤九三の屋敷に身を寄せていた。龍馬にとって写真を渡した伊藤九三は恩人。オリジナル写真に写る謎の白い三角形。白い三角形は光の可能性が高いという。記録によると、写真が撮影されたのは朝。眩しくて薄目の上目遣いになっていたのが後世に未来を見据えているように見えるようになったと推測。カッコよく写った写真が人々に知られたことで坂本龍馬のイメージが定着して「英雄」「ヒーロー」「カッコいい」となったのだろうとのこと。坂本龍馬の写真は龍馬をかくまった恩人の子孫が持っていて、龍馬の人気を爆上げした奇跡の1枚だった。
坂本龍馬のようなカッコいい写真に挑戦。幕末の写真撮影に詳しい写真家の林さんが協力。100年以上前に作られた龍馬を撮影したカメラと同じ仕組みの湿板カメラ。有吉が龍馬になりきって撮影。10秒間静止する必要がある。撮影したらすぐ暗室でガラス板を現像。さらに有吉プロデュースで複雑な家庭という写真を撮影。仕上がりは番組後半で。
- キーワード
- 坂本龍馬
1991年、日本中が1冊の写真集に衝撃を受けた。その1冊が宮沢りえの写真集「Santa Fe」。撮影したのは日本を代表する写真家の篠山紀信。入手は困難で、景品になっていたSanta Feを狙ってお父さんがパチンコ店に群がった。最も印象的だったのが表紙に映る白い扉のサンタフェの扉。過去にはキンタローが単独ライブのポスターで完コピしていた。サンタフェの扉について撮影地のアメリカのサンタフェ市で聞き込み調査する。日系人がやっているラーメン屋によると、サンタフェ市に滞在中にカウンターで寿司を食べていた。ラジオ番組「30日後に閉まるとしまえん」によると、1992年にとしまえんはサンタフェの扉を展示していた。茨城県つくば市にある美容院では、レプリカのサンタフェの扉を使用していた。サンタフェ市にあるフィルムコミッションに尋ねると、サンタフェ市のロケーションプロデューサーのデイビッドさんを紹介された。デイビッドさんは、Santa Feのロケ地を仕込んだ本人。現在はデイビッドさんの親友が持っているという。親友のマークさんの家へ向かうと、自宅の裏口で使われていた。としまえんに展示されている4カ月の間、としまえんは代わりの扉を設置してくれたという。調査の結果、サンタフェの扉は今もサンタフェ市で大切に保管されていた。
あさま山荘事件の鉄球を持っているという白田さんの自宅を訪れ、直接交渉の結果外部の人には見せていないということで失敗となった。手球兄弟の兄白田弘行さんを訪ね改めて交渉し成功した。
あさま山荘事件の鉄球と対面することができた。白田組の鉄球は直径70cm、重さ1.7トンで兄弘行さんも久々の対面となった。当時弘行さんの眼の前で現場指揮の警視庁の内田隊長が撃たれまもなく死亡が確認、自身は防弾ガラスがあったため防がれたと話し「ありがとう」と話したのが最期の言葉だったなどと語った。調査してわかったことは「鉄球は忘れてはいけない記憶と共に保管されていた」ということ。