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「伏見(京都)」 のテレビ露出情報

坂本龍馬。薩長同盟など明治維新に貢献したとされる人物でカッコいいというイメージ。坂本龍馬と言えば歴史の教科書でおなじみの写真がある。未来を見据えるような凛々しい表情。博物館の等身大パネルや全国各地にある坂本龍馬像もみな、この立ち姿の写真をモチーフに作られているという。ワールドカップのときに話題になったサムライブルーの坂本龍馬像もこのポーズ。そんな超有名な坂本龍馬の写真に関しての情報。まず話を聞いたのは歴史写真研究科の大東文化大学・倉持基先生。坂本龍馬写真研究のスペシャリスト。倉持先生は「幕末の頃に、日本に流行っていた写真技法は湿板写真。ガラスに像を写す技法。この写真(坂本龍馬の立ち姿の写真)のオリジナルプリントだと思われる写真は確実に1枚しかない」などコメント。
「坂本龍馬のオリジナル写真って今誰が持っているんですか?」。調査を担当するのは依田美空D。まず思いついたのが坂本龍馬の子孫が持っているのではという説。ネット検索すると坂本家直径子孫のトークイベントが開かれるという情報が。トークイベントが開かれる京都。会場の京都佛立ミュージアムでは坂本龍馬展が開催中。坂本龍馬の子孫の坂本匡弘さんは眉毛や目元が龍馬に似ている。坂本家の当主を受け継いだ坂本龍馬の兄から6世代目が匡弘さんは、坂本龍馬の遺品を所有するという。今回展示されているのはその一部。近年になって発見された、坂本龍馬暗殺の5日前に書かれた直筆の手紙も展示。依田Dは坂本匡弘さんに直談判。インタビューできることに。しかし、話を聞くとオリジナル写真は持っていないのだそう。坂本匡弘さんは下関の伊藤さんがオリジナル写真を持っていると教えてくれた。
伊藤さんは家の外観がわからないということを条件に取材に応じてくれることになった。伊藤さんの祖先は江戸時代に大名やシーボルトなど海外の要人が宿泊する本陣の当主。1枚しかない坂本龍馬のオリジナル写真を持っているのだそう。坂本さんのおかげで撮影がOKに。普段は別の場所に保管してあるものを今回は特別にだしていただいた。それは伊藤家に代々伝わる写真帳の中に。そして、坂本龍馬のオリジナル写真がテレビ初公開へ。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年5月8日放送 19:00 - 21:00 テレビ朝日
林修の今知りたいでしょ!(日本の世界遺産 6大非公開エリア潜入SP)
ビビる大木は五重塔の非公開エリアに潜入。二層目に上がると木材が入り組んだ何もない空間だった。三層目に上がると心柱に巻かれた鉄を見つけた。3本の木をつなぐための金具で、江戸時代に5基目が建築されたときのまま。最上階に上って外に出ると、京都の街が一望できた。西郷隆盛も五重塔に上り鳥羽・伏見の戦いの戦況を見ていたという話もある。城西国際大学の佐滝先生は五重塔は地震[…続きを読む]

2025年4月16日放送 19:00 - 21:00 テレビ朝日
朝メシまで。外国人500人が選ぶ!世界遺産で食べられる美味しい朝メシランキング
世界遺産で食べられる美味しい朝メシランキング5位は「本家第一旭本店」の特製ラーメン。食べログ多言語版サービスの京都朝食部門で閲覧数No.1の店で、スープにハマる外国人が続出。国産豚の中大貫の骨を使用している。中大貫の骨はスープに雑味が出ず、旨みだけを抽出できる。かえしは京都伏見で作られた醤油を使用。

2025年2月26日放送 13:55 - 15:50 日本テレビ
情報ライブ ミヤネ屋インバウンド増のニッポン いま人気観光地に異変!?
インバウンドで外国人観光客が増加している人気観光地に異変が起きている。鳥海高太朗さんが、スタジオでインバウンドの課題について解説。京都では外国人観光客が急増し、逆転現象が起きている。外国人客は約30%増、日本人客は約15%減と伝えられた。一方で、京北エリアは日本人観光客が増えている。また、西京も増えているとのこと。京都はオーバーツーリズム対策で、去年6月から[…続きを読む]

2025年1月7日放送 11:55 - 13:55 日本テレビ
ヒルナンデス!あさこ大久保のオトナ女子旅
伏見に絶景グルメスポットが誕生。去年9月3日にオープンしたのが京都伏見稲荷OICYビレッジ。1階はフードコートになっており、人気店が最大12店舗集結。2階はお土産ショップ。屋上は稲荷山を眺めながら食事ができるテラスがある。伏見稲荷参拝後の休憩にピッタリ。おすすめの開運グルメとしてTORIKI BURGERのグリルチキンバーガーを紹介。鳥居のイラストが描かれて[…続きを読む]

2025年1月3日放送 7:20 - 8:05 NHK総合
ブラタモリ東海道 ”五十七次”の旅~行けばわかるさ 徳川の思惑~
タモリらは京都・伏見にやってきた。伏見にある京橋は江戸時代、荷上場だった。近くには宿屋があり、多くの人が行き交っていた。江戸時代、伏見宿の人口は2万人を超えていて五十七次の中では最大級の宿場だった。なぜ巨大な宿場町になったのかを調べるため、タモリらは観光船「十石船」に乗った。東海道ができる前、伏見には豊臣秀吉が伏見城があり、宿場町ができる前から大きな城下町だ[…続きを読む]

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