- 出演者
- 有吉弘行 野村真季 ヒコロヒー せいや(霜降り明星) 渡辺隆(錦鯉) 森香澄
有吉たちは円山町方面へ向かった。渋谷百軒店商店街は1924年に開発された。1923年の関東大震災で被害が少なかった渋谷には被災した下町の有名店が誘致された。 百軒店は飲食店、映画館、物販店など誘致された店舗数が117店になり、それが名称の由来となった。渋谷が発展するきっかけとなり、古くからの名店が今でも営業している。この辺りに10年住んでいるというしみけんが「付近で遊ぶ時に持っておくと良いものは?」と出題。有吉は「ハチペイ」(渋谷区限定のキャッシュレス決済アプリ)と回答したが不正解。正解は「現金」。現金しか使えない店が多いという。道頓堀劇場はストリップ劇場。“道玄坂”劇場の名称にするつもりが手違いで“道頓堀”劇場という看板が完成してそのまま使っている(諸説あり)。幕間コントでは渡辺正行などが出演。当時はお笑い=関西のイメージで“道頓堀”の方が客が呼べたという。奥渋の電柱にマツコ・デラックスに似たシールが貼ってあるとの話題になった。有吉は外国人の風俗嬢を部屋に呼んでいたら、大家さんに英会話に熱心と勘違いされたエピソードを語った。矢野はトゥナイト2で山本晋也がやっていたラブホテルリポートで得た知識でクイズを出題「ラブホテル業界から普及したと言われる日用品は?」。正解は「ボディソープ」。しみけんは「近年ラブホテルの利用に関して自動車業界が抱えた悩みとは?」と出題。正解は「自動ブレーキ」。自動ブレーキ搭載車だと入口にある「ゴムのれん」(通称わかめ)で急停車するため、撤去するホテルも少なくないという。あるメーカーの自動ブレーキは鉄しか反応せず、ゴムのれんは通過できたという。
百軒店を抜けて円山町に到着。江戸時代は宿場町で明治20年頃から花街として栄える。昭和30年代後半に料亭遊びが衰退し始め、跡地がラブホテルになった事で現在のホテル街が形成された。しみけんは某有名人が大麻取締法違反で捕まった場所やハプニングバー「眠れる森の美女」があった場所を教えてくれた。ここでしみけんがクイズを出題。「ハプニングバーが摘発された日は何のイベントデー?」。正解はローション祭りの日。滑って逃げづらく、逃げられてもローションまみれで発見しやすいためだったらしい。有吉は風俗店を利用した松村邦洋が遅刻しそうになり、ローションまみれのまま現場へ行って怒られたと紹介。ラブホテルは風営法が適用されるため、公安委員会への届出が必要だが、禁止区域など厳しい規制を受け、新規開業は困難といわれている。一般的には、ホテルはフロントを設けて従業員と対面し入室(旅館業法)、ラブホテルは宿泊客が従業員と顔を合わせず入室(風営法)。自動販売機を見つけたしみけんがクイズを出題。「自動販売機のコイン投入口の縦と横の違いは?」。正解は「コインの識別スピードの違い」。日本自動販売システム機械工業会によると、横入れの場合、硬貨はゆっくり滑り落ちるため識別機に入るまで時間がかかるが、薄型&小型化が可能で商品を収納できるスペースが広くなる。縦入れの場合、硬貨が転がりやすく、識別機に入るスピードが速いので、乗車券販売機などでは並ぶ人を素早くさばける縦型が一般的だという。
円山町を抜けて文化村方面へ。東急百貨店本店があった場所は広大な空き地になっていた。有吉は新しくできる東急ではデパ地下がなくなるのではないかと心配していたので、スタッフが東急の担当者に話を聞きに行った。
- キーワード
- 東急東急百貨店 渋谷・本店渋谷(東京)
東急百貨店本店の跡地がどうなるのか、東急の開発担当者を取材。地上34階、地下4階の複合施設となる予定。デパ地下やスーパーも作ってほしいという要望もあり、検討中だという。2029年度に工事が完了する予定。仮囲いにあるコケを見た有吉が「何だろう?」と言ったのでそれも聞いてみた。緑の環境を提供したい想いから仮囲いに生のコケを植える壁面緑化をした。法規制の関係で具体的なモチーフ・デザインにすることはできないが、シンプルすぎると面白みがないので、コケの高さを変えてリズム感を出しているという。
- キーワード
- 東急東急百貨店 渋谷・本店渋谷(東京)
ファミリーマートの前を通り過ぎると、矢野が「ファミマの入店音には“大盛況”というタイトルがついている」と紹介。京都出身の作曲家である稲田康が作曲、メロディーチャイムNO.1ニ長調作品17「大盛況」。1978年頃、パナソニック製ドアホン用チャイムとして作曲したという。
東急本店跡地を越えた辺りが奥渋谷(奥渋)。駅から離れた宇田川町、松濤、神山町、富ヶ谷辺りのエリア。オシャレなお店が並ぶ大人のスポット。若槻千夏が「奥渋って私が広めた」と主張しているが、矢野によると裏は取れないという。別ロケで若槻に会った有吉が確認すると、20年以上渋谷に住んでいるという若槻が自分の住んでいる場所を「渋谷の奥の方」と言うのが面倒くさくて、「奥渋」と略すようになったら、いつの間にかテレビで「奥渋」とテロップが出るようになったと語った。渋谷の歴史に詳しいライター鏡晋吾さん(渋谷新聞・原宿表参道新聞 副代表)によると、2000年ぐらいから「裏渋谷」と呼ばれていたが、原宿の「裏原」と被ってしまうため、クリエイターたちが渋谷の奥にあるので「奥渋」と呼ぶようになったという。若槻説は初耳だが、若槻は渋谷と縁が深いので可能性はあるかもしれないという。なか卯の前を通り過ぎると、有吉がアンガールズ・田中は自分が通っているなか卯をテレビで言っているが、ファンが全く訪れないと紹介。
「有吉クイズ」の次回予告。