- 出演者
- 伊集院光 石川恋 荒木大輔 藤川球児
今回は全国の視聴者から見たい名場面を投票してもらい、4万8592票が集まった。今回はこの投票結果を元に甲子園の歴史をランキング形式で紹介していく。
- キーワード
- 阪神甲子園球場
10位は2012年の高校野球春大会1回戦で大阪桐蔭と対戦した花巻東3年生の大谷選手。投手として8回3分の2を11奪三振という好投を見せ、打者としてもホームランを放つなど自らを援護した。
9位は1979年の高校野球夏大会3回戦の箕島×星稜の1戦。この試合接戦で延長18回の死闘となり、延長16回には勝ち越している星稜の選手が2アウトで放たれたファールフライを補給しようとした際に人工芝に躓いてエラーとなって、その直後に箕島の選手がHRを放って同点に追いついた。その後18回裏に箕島が得点して星稜が逆転負けを喫した。人工芝はこの年から設置されていたため今よりも固く、甲子園の魔物を体現する1戦となった。この試合から15年後には当時の試合を戦ったメンバーが集まってリベンジ戦を行い、2-1で星稜が勝利した。
8位は1973年春大会での作新学院・江川卓投手。江川投手は1回戦から手元で浮き上がるストレートで三振の山を築き上げ、この試合19奪三振で完封勝利を飾ったその後の試合も三振の山を築き続け、準決勝の広島商戦でダブルスチールとエラーで勝ち越しを許してして敗北してしまう。ただこの大会江川投手は4試合60奪三振を記録し、怪物の名にふさわしい剛腕を見せつけた。
ゲストの荒木さんは1980年夏1回戦の早稲田実×北陽の試合に出場。この試合荒木さんは早稲田実1年生ながらマウンドに上がり、4試合完封勝利を達成した。この活躍で大ちゃんフィーバーを巻き起こし、高校での練習中にも多くの人が見物に訪れるなどした。
1982年夏の甲子園。徳島・池田の「やまびこ打線」は、鳴り響く快音からその名がついた。強打の裏には、当時あまり取り入れられていなかった筋力トレーニングがあった。荒木は、準々決勝で、やまびこ打線と相対した。やまびこ打線は、20安打・14得点をあげた。やまびこ打線を名場面に選んだ荒木は、この敗戦からの試行錯誤がプロ野球での活躍につながったという。
甲子園の名場面7位は、松井秀喜の5打席連続敬遠。1992年春の1回戦、星稜と宮古の試合で、星稜の4番・松井秀喜は、そのパワーを見せつけ、2打席連続ホームランを放った。3年生最後の大会となった92年夏。明徳義塾との2回戦、松井は、第4打席まで敬遠された。星稜1点ビハインドで最終回2アウトの場面、松井に打席が回ってくるが、ここも敬遠された。敬遠は、監督の指示だったという。
甲子園の名場面6位は、甲子園の浜風が生んだ奇跡のバックホーム。1996年夏の決勝、松山商と熊本工業の試合。10回ウラ、1アウト満塁のピンチの場面で、松山商は、ライトを交代させた。ライト入った矢野勝嗣が、ダブルプレーで抑え、ピンチを回避した。甲子園球場には、ライトからレフト方向に吹く浜風があり、送球するときには、追い風になる。そこに、肩の強い選手をライトに入れた極限の采配だったという。
甲子園名物のかちわり氷は、1957年に誕生し、当初は、タコ焼きの舟に氷をのせて販売していた。金魚すくいのポリ袋をヒントに売り出すと、大ヒットした。多い時で、一日1万5000袋を販売した。
高校野球・甲子園の歴史編。5位 “史上最強PL” 全国制覇 1985年。
高校野球・甲子園の歴史編。4位 歴代最長 延長25回の死闘 1933年 夏 準決勝 中京商-明石中。昭和8年、5時間に渡って甲子園球場を沸かせた大試合があった。第19回大会準決勝、明石中学の仲田、中京商業の吉田。両投手の力投、ゲームは0対0で延長線に入った。当時のスコアボードは16回までしか表示することができず、スコアボードはその場の手作りしていったという。その後もスコアボードに並ぶ0行進。そして延長25回ついに中京が点をとり勝利。大会本部は両チームに試合中断を打診したが、お互い「向こうがやめると言えばやめる」と意地を張ったという。そして、この試合がきっかけになり今につながる甲子園球場の形が生まれた。1934年に2台目のスコアボードが作られ、延長線にも対応できるような巨大なものになった。
高校野球・甲子園の歴史編。伊集院光さんが選ぶ名場面 傷だらけの逆転サヨナラ。1999年 夏 準決勝 智弁和歌山-岡山理大付。8回に足を負傷した一塁手が足をひきずりながらサヨナラヒットを放った試合。伊集院光さんは「キャプテンからお前その足じゃ1回しか触れないぞと言われたという。初球ストレートだと思って思い切り振れって。そして、サヨナラヒットを放った瞬間に厳しい言葉をかけたキャプテンが号泣していた」などコメント。
阪神タイガース編。3位 星野・阪神 18年ぶりリーグ優勝、2003年9月15日 阪神-広島。2003年9月15日。優勝のかかった大事な一戦。同点で迎えた9回裏、連打でサヨナラのチャンス。バッターは2番赤星憲広選手。思い切りいけと星野監督。その初球にサヨナラヒットを放った。
阪神タイガース編。2位 岡田阪神、18年ぶりリーグ優勝。2023年9月14日 阪神-巨人。マジック1で迎えた甲子園。6回ウラ、全試合4番をつとめた大山悠輔の犠牲フライで1点先制。続く5番佐藤輝明の2ランで3点差に突き放し、そのまま勝利し優勝を決めた。
阪神タイガース編。1位 語り継がれる伝説、バックスクリーン3連発。1985年4月17日 阪神-巨人。開幕4試合目の巨人戦。初回から先制を許す苦しい展開に。6回を4安打に抑えられていた。迎えた7回2アウト1塁2塁。3番バースの初球だった。 バックスクリーンへの逆転3ランホームラン。続く4番掛布、5番岡田もバックスクリーンへホームランを放った。伝説の3連続ホームランで巨人に逆転勝利をおさめた。
阪神タイガース編。3連発のレジェンド特別インタビュー。1発目、口火を切ったランディ・バースさんは「甲子園でプレーして僕たちが打った3本、それが巨人を倒せると証明した。3連発が日本シリーズ制覇につながった」などコメント。あの3連発が導いたという21年ぶりのリーグ優勝&日本シリーズ制覇。しかし、岡田彰布さん、掛布雅之さんは当時は違った印象を持っていたようだ。「ファンは3連発があったから優勝したと思っているが」という質問に2人は「あとづけ。4試合目で優勝できるとかそんなこと考えていない。3連発より3連勝の方が大きかった。勢いはついた」などコメント。
3位は1983年夏決勝 PL学園-横浜商業。PL学園1年生で4番を務める清原和博選手が2回第1打席で甲子園初ホームラン。そして同じ1年生桑田真澄投手は7回途中まで投げて無失点の好投を見せた。PL学園はこの1年生コンビの活躍で5年ぶりの全国制覇を果たした。
2年後の1985年夏の決勝で桑田・清原KKコンビが3年となり史上最強とも謳われたPL学園。不調の桑田投手を救ったのは清原選手のHRだった。1点を勝ち越された6回ウラにまた清原選手がHRを放ち歴代最多甲子園通算13本目の本塁打となった。
KKコンビについて荒木大輔さんは「インタビューで桑田が調子良くなかったからとあったがああいうものも高校野球の良いところだと思う。同じ苦しい練習をしてきた仲間が苦しんでいるので俺達がカバーしてやるという思いが伝わるようなインタビュー」などと話した。