- 出演者
- 明石家さんま 市來玲奈 東野幸治 滝沢カレン 山田邦子 後藤輝基(フットボールアワー) 井上芳雄 阿部サダヲ 永野芽郁 長谷川雅紀(錦鯉) 渡辺隆(錦鯉)
オープニング映像。禁断の1日をドラマ化する。また謎の新人VTuberとしてデビュー。
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- 哀愁でいと笑福亭松之助[2代目]草なぎ剛
明石家さんまが登場。来年70歳という。
さんまのせいで人生変えられた10人、9位は大竹しのぶ、8位は西川泰史さん。西川さんはハワイでさんまと遭遇。さんまは番組の賞品でハワイ旅行を獲得し1人でハワイに来ていたという。
さんまのせいで人生変えられた10人、8位は西川泰史さん。さんまは食事にも手を付けず夜中2時まで5時間喋り続けた。7位は高校時代の恩師乾井先生。高校時代クラブ対抗リレーで手を繋いでスキップ。さんまは体育教師の乾井先生に追いかけられたという。6位は小原玲さん。さんまのせいで転職した。人のプライベートを追いかけることに嫌気が差し小原さんはフライデーカメラマンを辞め動物カメラマンになった。
さんまのせいで人生変えられた10人、6位は小原玲さん。人生最後に撮った写真は月夜に飛ぶモモンガ。5位は加藤英美さん。巡り巡ってさんまの元へ届くようにと千円札にメッセージを書いたところさんまの元に届いた。4位はさんまの息子、二千翔さん。
さんまのせいで人生変えられた10人、4位はさんまの息子二千翔さん。ウェブ制作会ジェミーの経営者で、日本最大級のオーディションサイトを立ち上げ実績をあげている。現在は彼女がいるという。
VTuberはバーチャル世界で動画投稿やライブ配信を行う。コンサート・イベントには5万人が集まる。今回はさんまがVTuberに挑戦。名前は八都宿ねねに決定。デビューに向けて配信を練習した。コラボ相手はホロライブの超人気VTuber3人。コメントは大絶賛され配信は大成功。3人にだけ正体をバラした。
この日はプロフィール紹介。VTuberファンはおじさんも多く古い競馬ネタは結構ウケる。また、お悩み相談室を開催した。
お悩み相談室の動画を公開したところ新人としては異例の再生回数となった。
コラボした5人のVTuberがスタジオに登場。また、さんまはお悩み相談室でVHSと言ってしまった。
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さんまの人生ドラマの舞台は1981年。アイドル至上主義だった時代に若き日のさんまは芸能界のタブーを破った。
さんまの人生を再現ドラマ化。幼少時代は泣き虫だった。1955年に誕生し母親は3歳の時に亡くなっている。祖父から「辛いときこそ笑え」と教えられた。落語家になる道を選んださんまだが、家族に反対される中で祖父は「やりたいことを見つけられただけで人生大成功だ」と応援してくれたという。
さんまは恋人と上京し、パン屋でアルバイトをはじめた。パン屋の売り上げ記録を作ったという。
さんまは恋人と別れ、大阪に戻った。師匠は笑福亭松之助。1980年代のオレたちひょうきん族時代は裏番組打倒を目指していた。この時期には大切な家族が亡くなった。
さんまスペシャルドラマでさんまを演じるのは草なぎ剛。アイドルが世を席巻していた1981年、田原俊彦は凄まじい人気を博した。1980年吉本興業が東京に進出、当時大阪で一番勢いがあったさんまが吉本東京事務所のタレント第1号となった。1980年代初頭アイドル全盛期の時代、「笑い」を武器に戦い芸能界のタブーに挑んだ。
2019年、さんまの師匠が旅立った。1979年大阪、さんまのテレビのレギュラー番組は8本でラジオ・舞台・営業と働き続けてきた。1980年に吉本興業が東京連絡所を開設。さんまは東京吉本のタレント第1号だった。この頃のテレビの主流は歌番組やアイドル番組で芸人の立ち位置はまだまだ低かった。カメラはアイドルを撮り芸人は別撮りされることもあった。
笑福亭松之助師匠はさんまに落語家をやめてテレビの勉強をするように勧めた。3日後、さんまは正式に落語家をやめた。さんまは新しいことに果敢に挑み、アイドルとのコント番組にも挑戦した。笑福亭松之助師匠からの手紙は心の支えだった。芸能人が出る紅白大運動会では田原俊彦に勝たせるようにディレクターから頼まれた。