2024年6月22日放送 5:40 - 5:50 NHK総合

NHK映像ファイル あの人に会いたい
アンコール 野見山暁治(画家)

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(オープニング)
オープニング

オープニング映像。

(NHK映像ファイル あの人に会いたい)
野見山暁治(画家)

野見山暁治さんは画家で大胆な筆使いと色彩で、独自の画風を気づいた。戦没した画学生の遺族をまわり、その作品を夜に出すことにも尽力した。野見山さんは大正九年に福岡県で生まれ、家は炭鉱業を営み、石炭採掘語にできるぼた山が遊び場だった。幼い頃から絵ばかり描いていたという。跡継ぎにと臨んでいた父親に画家になることを反対されたが画家を目指し上京。昭和13年に東京美術学校に入学した。手当たり次第沸を描くが時代は戦争へと向かっていった。学校を繰り上げ卒業すると旧満州に出征。しかしその後肺の病に倒れた。国内で終戦を迎えると、再び絵を描き始めた。その後展覧会で次々と作品を発表した。昭和27年31歳の時に妻を日本に残しパリ留学へ。西洋絵画に触れ、その表現手法を貪欲に吸収していった。そして数年後妻をパリに連れてくるがその一年後に病死。野見山さんは失意にくれた。

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あの日 昭和20年の記憶おはよう日本まぎらわしい場所パリ・セーヌ川畔パリ郊外マドの肖像土曜美の朝巨匠たちの卒業制作廃坑(B)日曜インタビュー東京美術学校無言館窪島誠一郎群像(坑内)自画像近づいてきた景色野見山暁治

それ以降画風は変化し、抽象ではなく野見山さんがあくまで感じたことを絵にしたものだという。妻の最期を綴った著作を発表すると、執筆活動でも注目を浴びた。1964年に帰国すると野見山さんは東京藝術大学などで教鞭をとるように。その頃積極的に取り組み始めたのは戦没した画学生遺族を訪ね歩きその作品に光を当てることだった。その作品を集め、設立に協力した長野県の無言館に収められている。また1978年には日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。野見山さんは東京と福岡に構えたアトリエを行ききしながら創作活動を行った。ある証言という作品はバルコニーが台風で砕け散った様子を描いている。80代後半になり新しいことにもチャレンジ。地下鉄の壁に飾るステンドグラスを共同で制作した。ヘイセイ年には93歳で文化勲章を受賞。100歳を越えても絵に向き合ったという。

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ある証言いつかは会える人間伊澤洋和子の像大田章家族愛と死はパリの果てに文化勲章新日曜美術館日本エッセイスト・クラブ賞東京藝術大学無言館祖母の像蜂谷清野見山暁治
(エンディング)
エンディング

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