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オープニング映像。
出雲大社は竹内が幼い頃から通った思い出の場所。大好きだった父は愛や感謝を必ず言葉にする人だった、面白いと思って生きたほうがいいという考えは父の影響だと話した。高校時代は出雲大社神苑で集まり、ギターを弾いてフォークソングを歌っていた。ビートルズの音楽に衝撃を受けて海外に憧れを抱き、担任の勧めもあり17歳でアメリカに留学した。アメリカの高校でバンドに誘われ、初めて人前で歌った。
大学進学後、コーラスのアルバイトをしたことがきっかけとなり23歳で歌手デビュー。「不思議なピーチパイ」が大ヒットし、人気シンガーとしての地位を確立する。多忙を極めて音楽を楽しめなくなり、26歳で歌手活動を休止。山下達郎と結婚し長女を出産。家庭を営みながら、ソングライターとしての活動を始めた。1984年に歌手として復帰し、山下達郎をプロデューサーに迎えて現在の音楽作りのスタイルが確立した。
復帰アルバムに収録された「プラスティック・ラヴ」は、今海外で起きているシティ・ポップブームの火付け役となった。ピアニスト角野隼斗はバブル期にファンタジーを感じている、冷たさの中に温かさがある、普遍的なものがあると古さを感じなくなると話した。竹内は時の試練に耐えうるトラックがアレンジャー山下達郎の凄さだと話した。
ドラマ主題歌やCMソングでヒット曲を連発し、竹内まりやは時代をリードするシンガーソングライターとなった。竹内の歌詞に魅了されたというマツコ・デラックスは、さらっとやってるようで計算されている、「告白」が一番いい、自分でない人間になる感覚を味わえると話した。竹内はシナリオライターがドラマを書いてる感覚に近い、聞かれてこそなんぼというのが大前提、ポピュラーじゃなくてもかっこいいことをやりたい自分もいるがそれをやってる竹内まりやは誰も求めないと考えている自分もいると話した。2000年代に入ると、何気ない日常にある小さな幸せや人生の深みを描いた歌を作るようになる。
ことし竹内は今を生きる次の世代に向けて、生田絵梨花主演ドラマの主題歌「歌を贈ろう」を作った。竹内の希望で生田がコーラスに参加した。
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- 歌を贈ろう
デビューから45年、竹内は原点を見つめ直すため故郷の出雲を訪れた。出雲大社の至るところに父・繁蔵さんとの思い出が残っていた。3年前、竹内は繁蔵さんを家族で看取った。
繁蔵さんが大好きだったという「人生の扉」について、竹内は自分の書いた曲なのに励みになってる、80代90代の扉が開いていくのも希望として受け止めると話した。年齢を重ねるという普遍的なテーマのこの歌は同時代を生きる人の背中を押してきた。大地真央は勇気がもらえるし前向きになれる歌だと話した。
竹内は好きなことをしてメディアにはちょっとしか出なくていいとかある種ズルいやり方だと思ったりする、脚光を浴びることに後ろめたい気持ちがある、それを解消するには音楽で返すしかないと話した。高校時代の恩師、南場先生は「まりやは今のままでいい」「誰かのために喜んでもらうために生きてる姿勢があるから、そういう立場になったというのがすばらしい」と竹内に伝えた。
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- 人生の扉島根県立大社高等学校竹内まりや
エンディング映像。
次回予告。