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オープニング映像。
数多くのキャラクターで知られるサンリオ。レディー・ガガなど世界の著名人もハローキティ好きを公言している。サンリオ創業者の辻さんは、今でも週に1度は会社を訪れて社員をコミュニケーションを重ねている。創業理念は「みんな なかよく」。社員を労うために開かれたパーティーで、辻さんはいちご柄のシャツでステージでハーモニカを披露した。サンリオは初のオリジナルデザインがいちご柄だった。辻さんはサンリオの月刊誌いちご新聞にメッセージを寄せている。
1945年7月6日、山梨県内は焼夷弾の空襲を受け市街地の7割以上が焼失した。いちご新聞8月号の執筆に合わせ、辻さんは実家のあった甲府市を訪れた。料亭「三省楼」の跡取りとして生まれた辻さんは早くに母親を亡くし、父と弟妹の4人家族で少年時代を過ごした。空襲当時、辻さんは18歳で大学から帰省していたときにサイレンが響いた。辻さんは戦争当時大人たちに戦争はしょうがない、相手をやっつけるしか自分たちは生きていけないと言われてきた、そんなばかなことはないとコミュニケーションの会社を作ったと話した。
辻さんは甲府の高齢者施設を訪れ、幼馴染の大森さんに会った。大森さんは戦争末期に特攻隊に配属され、あすにも出撃というタイミングで終戦を迎えた。辻さんは同級生はみんな死んでしまった、みんな兵隊に行くことが名誉だと思っていたと話した。空襲があった7月6日、甲府市内の寺は一斉に慰霊の鐘をつく。300人の遺体を火葬した一蓮寺ではその跡地に一体の地蔵が建立されている。住職はご縁の深かった方が高齢になったため年々参拝者が減っていると話した。
長い年月が戦争の記憶を薄める一方、辻さんは同じ年月をかけて平和の種を撒き続けた。サンリオピューロランドのパレードで闇の女王に立ち向かうハローキティは暴力を振るわず、助け合うことを呼びかける。辻さんはキティちゃんを好きになるということはみんなが仲良くなってもらうということ、いちご新聞は仲良く生きることを中心に作ったと話した。
ことしもいちご新聞8月号が完成し、辻さんは戦争を知らない若い世代に贈る言葉を寄せた。世界ではいまだに戦争はなくなっておらず、辻さんは「戦争はしょうがない」というかつて同じ空気が世界を満たし始めていないかと危惧している。ハローキティに口が描かれていないのは「平和への思いは行動で示すことが大切」という意味も込められている。
来週は「キノコ雲の上と下~米兵の心に苦悩を刻んだヒロシマ~」。