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- Zeebra
オープニング映像。
Zeebraとシソンヌ長谷川がZeebraのルーツとなる場所を巡る。最初のルーツスポットは渋谷区広尾にある「慶應義塾幼稚舎」。渋谷生まれのZeebraは小学2年の時に六本木へ引っ越し慶應義塾幼稚舎へ通っていた。母校を訪問するはずだったが、学術的な取材以外は撮影NGとのこと。ということで幼少期を知る人物が待つカフェへ。そこにはDJ OASISがいた。Zeebraと共に「キングギドラ」を結成したレジェンドDJ。2人は慶應義塾幼稚舎の幼馴染。出会ったのは小学4年の時できっかけはファミコンだった。その頃から音楽好きでZeebraはブラック・コンテンポラリーを聴いていたという。
慶應義塾幼稚舎を卒業後、慶應義塾普通部に進学。洋楽に強い関心を抱く中、ハービー・ハンコックの楽曲に大きな衝撃を受けた。中学生でディスコにハマっていた影響で、中学2年で留年し慶應義塾普通部を退学。DJカルチャーからHIPHOPにハマった。その後、OASISも高校1年で留年し退学。17歳の時にPOSITIVE VIBEを結成。そこでZeebraはラップに初挑戦しHIPHOP人生が始まった。
Zeebraは、慶應義塾で結成されたチームの影響でHIPHOPカルチャーにのめり込んだ。続いて訪れたルーツスポットは「Rhythm Cafe」。そこにいたのは、Zeebraが初めてレギュラーDJを務めていた「J TRIP BAR」のプロデューサー・Dr.Koyamaだった。Koyamaは当時、Zeebraに強い才能を感じ、17歳でのDJデビューを後押し。その後、Zeebraは人気を集め、系列店でも数多くDJを担当するように。彼の原動力となったのは、Koyamaの言葉「黒い」だった。これはブラックミュージックのルーツを忘れるなという意味で、Zeebraは「自分を本当に理解してくれる人に出会えた」と感じたと語った。
Zeebraは19~21歳の頃、サラリーマン生活を送っていた。当時付き合っていた彼女との間に子どもができ、家族を養うためにDJの夢を一度諦めたという。勤め先はヨーロッパの婦人服を扱う卸売会社。だが、当時の日本ではHIPHOPがほとんど知られておらず、理解も得られなかった。次第に疎外感に苛まれ、対人赤面症を患ってしまった。それでもHIPHOPへの情熱は消えず、子育ての合間を縫い、ひとりビート作りに没頭。そんな中、来日していたアフリカ・イスラムにデモテープを渡したところ、才能を認められ、ズールー・ネイションへの参加を打診された。その後のライブでは「俺はHIPHOPのためにずっと頑張ってきたけど、子どもができて夢を諦めた」という曲を披露。観客はスタンディングオベーションで応え、グランドマスター・メリー・メルからは握手を求められたという。この出来事をきっかけに、Zeebraはアーティスト活動を再開。そして離婚後、2人の子どもを引き取った。
続いてのルーツスポットは「代々木公園」。そこにいたのはKダブシャインとDJ KEN-BOだった。
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「RECTRUCK」の次回予告。
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