- 出演者
- 後藤輝基(フットボールアワー) ホラン千秋 榊原郁恵 伊集院光 森香澄 猪狩蒼弥(HiHi Jets)
今回若者に見てもらったのは1973年当時の中野サンプラザの映像。51年前の開業当時の貴重映像から出題。
- キーワード
- 中野サンプラザ
当時の中野サンプラザは集団就職で上京した若者を支援する公共施設だった。令和世代は何に驚いたのか。1973年の全国勤労青少年会館の映像が流れた。令和世代の意見から4つをピックアップしており、点数は難度により10点・20点・30点で設定し合計得点の高いチームが勝利となる。
特典が高かったチームには金一封を差し上げるとのこと。猪狩蒼弥は前々回は出演時の金一封を振り込んでいただいたと話した。
「開業時の中野サンプラザ映像 10代・20代が驚いた事は?」のクイズ。まずは伊集院光が音楽をみんなで静かに聴いていると答えて正解となり10点となった。今は音楽は1人1人何万曲も自由に聴けるが当時は真剣に音楽を聴きたい人は施設でみんなと音楽鑑賞しなければならなかった。またテレビで有料といえば今やNETFLIXなどのサブスクのことを思い浮かべるのが普通だが、かつてホテルのテレビは有料で1時間100円ほどと割高だった。
次に伊集院光はなんでも相談できる場所があると答えて正解となり10点となった。当時の相談できる内容は職場の人間関係・治療方針・金銭の貸借にまつわる法律相談や男女交際など本当に何でも聞いてくれてすべて無料だった。若者を支えるサービスは他にもあり、夏季限定で3分間無料の電話コーナーがあった。さらに自分の故郷のニュースが知れるように全国地方新聞コーナーもあった。
次に猪狩蒼弥がプールでゴーグルをしている人がいないと答えて正解となり30点となった。なぜかというと大手ゴーグルメーカーが一般向けにゴーグルを発売したのはこの翌年の1974年だった。当時は水泳時にゴーグルをする考えはほとんどなかったという。また当時はゴーグル普及後も水泳の授業でゴーグル禁止となっており、当時の水泳の授業では水難事故を想定して水中で目を開けられるようにという目的もあったとのこと。
次に森香澄はトレーニング場に謎の器具が多いと答えて正解となり10点となった。そこには今では見かけないトレーニング器具が沢山あった。令和世代が特に気になったのはバスケットゴールでリングが大きく位置が低いというもの。それはバスケットボールの練習のためではなく全身運動のための器具だったという。またサンプラザ正面に設置されていたファイアボールも気になるところだったが、これは「SUNPLAZA=太陽のシンボル」というものでガスの力で燃えていた。
- キーワード
- 中野サンプラザ
続いては1980~90年代にかけて放送されたKIRINビールのCM。まずは1980年代のKIRINビールのCM映像を流し、1990年代のCM映像を流した。そのKIRINビールのCMを見て令和世代が驚いた3つの意見は何なのか。
「80・90年代のキリンビールCM 10代・20代が驚いた事は?」のクイズ。まずは榊原郁恵がCMに瓶ビールが映っていると答えて正解となり30点となった。1980~1990年代に瓶ビールが登場したCMは110作中68作だった。それに対し2024年のCMは瓶ではなくジョッキだったり缶のみが登場。2020年代は瓶ビールが登場したCMは55作中0作であった。
次に猪狩蒼弥は90年代は飲んでる風景が多いと答えた。
- キーワード
- キリンビール
猪狩蒼弥は80年代は海などの風景が多くと答えたが、伊集院光は90年代は食事が多いと答えそちらが正解となり10点となった。80年代はCMの至るところに海が登場し47作中20作であった。なぜかというとビールの売り上げは夏が最も多く、「ビール=夏」のイメージが当たり前だった。逆に90年代はバブルが崩壊したことによりおいしそうな料理のCMへと方向転換した。キリン秋味のような季節限定ビールで夏以外の間口も広げ、ビールは季節に関係なく楽しめるものになったという。
伊集院光は「俺らも自分でしゃべってることにしよう!」などと話した。
次に森香澄は出演者がビールの味の感想を言っていないと答えて正解となり30点となった。70年代までは苦くてコクのあるものが多く、ビールは喉越しや爽快さを味わうイメージがありその流れで80年代のCMでも味の感想を言わないことが多かったという。そして90年代に入りビールの製造技術がどんどん進化しキリンビールはうまいにこだわった一番搾りを発売。当初は味の感想を言わなかったもののCMで出演者が味の特徴を伝えるようになっていった。
伊集院光は一番搾りあたりから色んなビールの味やクオリティの競争になった気がすると話した。
- キーワード
- キリン一番搾り
「ホンノウスイッチ」の番組宣伝をした。