- 出演者
- 鈴江奈々 木原実 森圭介 桐谷美玲 山崎誠 忽滑谷こころ 直川貴博
オープニング映像。
鹿児島県では線状降水帯が発生。12時間雨量が171ミリを超えた。あすの予想雨量は四国は300ミリなどであさってにかけて雨量は増える。川の氾濫などに警戒。台風7号8号が北上。進路を伝えた。
天気予報を伝えた。台風7号、8号の進路を伝えた。
「国旗損壊罪」を創設する法案が今日衆議院で審議入りした。中道改革連合の階猛幹事長は、「国旗を大切に思う国民感情を保護法益するというのであれば、そのような感情を尊重する思想を刑罰をもって強制することになり、憲法の思想信条の自由に反するのではないかと考える」と主張した。また、自民党の塩崎彰久議員は「あくまでその国旗の損壊として外形にあらわれた、かつ公然と行われた行為に限定する形で処罰の対象をすると。心のなかでどういうことを思っているかとか、プライベートな空間でどういう行為を行うかとか、そういった思想や信条を処罰するものとはしていない」と主張した。また、中道の階幹事長は、罰則の対象となるかどうかの判断が極めて曖昧だと指摘した。この法案は、与党と国民民主党と参政党の4党で共同提出していて、今の国会で成立する公算が大きい。
天皇皇后両陛下はベルギー国王主催の晩餐会に出席。陛下は1921年の長い交流をふりかえり昭和天皇、上皇さま、天皇陛下がベルギー3人の国王とほぼ同じ年だとふれた。交流の歴史に新しい1ページをくわえることを嬉しく思う旨を語った。
横浜流星と松村北斗が映画「汝、星のごとく」で初共演。小説が原作の映画。恋に落ちた2人の高校生の愛と選択が描かれる。横浜流星との共演について松村北斗は同じ温度でやってくれたなどと支えになってことを話した。
有吉の壁の番組宣伝。
W杯で日本×スウェーデンで久保建英は欠場。スウェーデンの強さを現地取材。スウェーデン代表は練習を公開。初めての対戦のスウェーデン。日本は負け越している。スウェーデンの強さのヒミツは?サッカーは国民的スポーツでW杯は大盛り上がり。スウェーデンは海に浮かぶ島々は美しい町並みが残る。人口は1000万人だがH&MやIKEAなど世界的企業をうみだす。世界進出のヒントをさぐるためIKEAを訪問。徹底きにはぶいた無駄の考え方が世界に愛される。無駄を省くのはサッカーでも。ストックホルムのサッカークラブを取材。今の代表のうち7人がここの出身。GPSでデータ化するなど無駄のない育成システムを紹介。スウェーデン戦は明後日午前8時。
沖縄の地上戦では約30万人の民間人がアメリカ軍によって民間人収容所に隔離された。そのなかで強制的な労働に駆り出された人もいた。そこでなにが起きていたのか生存者の証言からその実態に迫る。1945年4月1日、沖縄本島に米軍が上陸。“鉄の暴風”とも言われた絶え間ない艦砲射撃。民間人を巻き込んだ凄惨な地上戦が行われ、県民の4人に1人が犠牲となった。生き残った民間人は約30万人。彼らを待ち受けていたのは米軍が設置した民間人収容所だった。沖縄戦に詳しい川満彰さんに民間人収容所のあった場所を案内してもらった。沖縄県の北部に作られた「田井等収容所」は民間人収容所のなかでは最大規模で多いときには8万人以上が収容されていた。収容される人たちは面談され認識票をつけられ家主がいなくなった家などに入れられたという。米軍は長期にわたり収容するため収容所のなかに食料配給所や孤児院、役所なども設置した。当時10歳だった池原盛憲さんは山での避難中に祖父と弟を失い米軍に投降、6月に田井等収容所に入った。地上戦が進むに連れ民間人収容所の数は増えていき、12か所に設置されることになる。なかでも北部に収容される人数は大きく増加していく。そこには米軍のある計画があったという。沖縄の戦後史を研究している専門家は「米軍は島の南半分は軍事作戦のため飛行場等々を造る場所と計画していて、南部でつかまった人も南部の収容所にとどまらず順次北部のほうに大規模に移送が行われていくことになって、その結果北部の収容所の人数がどんどん増えていった。」などと説明した。当時の米軍政府報告書には地上戦の最中、5月に「沖縄の農村を強力な要塞に変容させ、日本本土に向けた陸・海・空による最後の攻撃の跳躍台にするため住民の大規模な移動が必要」と記載されていた。アメリカ軍は本当の中南部にいた住民を北部に移動させ、そこに日本本土攻撃のための基地を整備していた。しかし基地を整備するための労働力が不足し、アメリカ軍は収容所の中にコンパウンド 強制労働収容所を作った。そこは「川上カンパン」と言われた特別な収容所。労働力として若い男性だけを家族と分けて隔離し、米軍の作業を強いていたという。
そこはどんな施設だったのか。当時、この場所に収容されていた東江平之さん(95)と会うことができた。当時14歳だった東江さんは何もしらないまま川上カンパンへ強制的に収容されてしまう。東江さんは「僕は何も知らなかったが、トラックに乗せられてそこへ行ったらそこが君の住むところだっていう感じ。カンパンの周りに囲いを造って4つ小屋があった。」などと話した。東江さんの記憶ともとに作られたイメージ図では二重に有刺鉄線で囲まれその四隅には監視塔が建てられ、機関銃が配備されていたという。なかには大型テントが並べられ、幅5m・縦20mほどの中に30人以上の人が詰め込まれていたという。東江さんは「毎日午前8時くらいには米軍が提供する2トン半トラックに乗って米軍が必要とする作業現場に連れて行かれる。」と話した。東江さんは複数の場所で飛行場の整備などをさせられたという。そしてある朝、川上カンパンのなかで作業しにいこうとしたら逃げようとした人が撃たれて死んでいるのをほったらかしにされているという衝撃的場面を目撃した。その後、8月になり日本は終戦を迎える。ところが東江さんが解放されることはなく、カンパンでの生活は3ヶ月後の11月まで続いた。さらに終戦の翌年になっても元の集落に帰れない人たちもいた。実は米軍は占領した沖縄の土地を終戦後も基地として利用しようと考えていた。1946年、米軍によって作られた地図いは普天間や嘉手納に滑走路が書き込まれている。本土決戦のための基地だったはずが終戦後もその基地を維持しようとしていることが分かる。米軍は沖縄を本土決戦のための拠点からアジア太平洋地域の軍事拠点に変えようと考えていた。住民たちが収容所を出たときには故郷は巨大な米軍基地に。戦争が終わり、もとの集落に戻りたいと願う住民たちの願いは裏切られることになる。池原さんが故郷の集落の戻れたのは1947年のこと。ようやく故郷で家族との日々が始まる。ところがその5年後、米軍の通信基地建設のため土地を強制接収されてしまう。戦後も続いた基地建設。今も故郷は基地の中にある。
桐谷さんは「旅行で沖縄に行ったときに基地が多いなとは思っていたが、もともとは人が住んでいたという歴史を知り胸が締め付けられる思いだった。罪のない民間人が生き延びても苦しい生活を強いられて土地まで接収されて、戦争は本当に悲惨なことばかりだと改めて思った。」などとコメントした。東江さんは戦争に巻き込まれていった当時を「どうにもならない道に引っ張られていってしまった」と振り返っていた。
日テレ・大屋根広場から中継で気象情報を伝えた。台風7号は土曜日の夕方から夜に最も接近する。予報円が大きく上陸の可能性もある。台風8号は速度が速いが、南海上で熱帯低気圧に変わる見込み。
きょうのギモンは「個人情報 同意なしで提供可能に?」。これまで個人情報を持つ民間事業者がそのデータを第三者に渡すには原則として本人の同意が必須だった。しかし改正案が成立すれば特例としてAI開発などに限って本人の同意なく提供しても良いこととなる。また、改正案に細かく明記されてはないが、対象は企業のほか個人事業主・海外の事業者も含まれる。「受け取ったデータは本人を特定できないよう加工する必要がある」と政府は説明しており、より厳密な規制の対象となる。この特例を含む改正案がきょう参議院でも審議されており、政府は今国会での成立を目指している。身近なものではネットで買い物をする際に必要な情報や、病院の診療データ、街中の防犯カメラのデータなどが挙げられる。法改正の最大の目的は国内のAI開発を進めるため。本人の同意を得る手間をなくすことで大量のデータを集めやすくし、AI開発のスピードを上るという狙いがある。では私たちにはどのようなメリットが有るのか。1つには「安全な街づくり」。不特定多数の人が映り込む防犯カメラやドライブレコーダーなどの映像で本人同意が不要となれば、いくつものデータを統合して分析できるようになる。2つ目は「精度の高い予防医療」。健康保険の診療データと食生活データを結びつけることで、AIで個々にあったアドバイスができるようになるとしている。一方で個人の信条や犯罪被害歴などの機微な情報も含まれてしまうため、「そこまで同意なく渡して良いのか」というギモンの声もあがっている。AIガバナンス協会・佐久間理事は意図的な人種・信条などの情報収集について「違法の可能性があり不適切なので考えにくい」としている。一方で悪用される可能性があるからこそ、誰が誰に渡し、どのように使うのかという情報開示の徹底を国だけではなく民間でも悪質事業者を監視し、排除する仕組みが重要だと指摘する。また、加工前のデータの不適切管理やサイバー攻撃など漏洩のリスクもあるという。医療事業者では認定事業者が氏名を仮名化してデータ活用する法律がすでいある。そのため、「せめて実名ではなく仮名でデータ化することはできないか」と野党などが求めているが、政府は「技術的に困難な場合もある」と否定的。
