1972年、「あさま山荘事件」で解決の突破口となったのが鉄球。事件と関係がない新潟の光ヶ原高原にて鉄球が2つ展示されている。1個は映画「突入せよ!あさま山荘事件」の撮影で使われ、もう片方は事件解決のために集められたものの使われなかった。現場から事件をリポートしていたのが元アナウンサーの久能靖氏で、事件に関する著作も発表している。実は鉄球を操作していたのは長野県警の捜査員ではなく、民間人の兄弟だった。久能氏は取材を通じて2人と知り合うことができた。解体業を営んでいた白田弘行さんがトラックを、義弟の五郎さんがクレーンを操縦。作戦に参加したことが周囲に知られると報復を受けかねないと、沈黙を保っていたが、英雄を騙る不届き者が大量にいたという。解体業者はすでに廃業していた。