日本語の歌がタブー視されてきた背景には、日本による植民地支配がある。学校では日本語の授業が行われ、子どもたちに教えられたのは日本の歌だった。1965年、日韓国交正常化。その後も韓国は国民の対日感情を理由に日本の大衆文化を規制してきた。80年代に入ると、日本の歌謡曲が海賊版で出回るようになる。当時、親世代とは日本の歌に対する温度差があったという。1998年、日韓共同宣伝で日本文化が段階的に開放。2004年には音楽CDも販売されるようになった。しかし、日本語の歌をテレビ放送することは自主規制が続いてきた。プロデューサーのソ・ヘジンさんは20年前に日本語の歌の企画を出ししたときには突き返されたという。しかし、近年は韓国のエンタメが世界進出し、日本の文化を受け入れる土壌がメディアに生まれたと確信したという。こうして日本歌謡の放送が実現し、歌番組としては異例の12.5%の最高視聴率を記録した。非常戒厳をの翌日だったが、ソウルの店は普段通りに営業し、歌番組を観ていた。