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「こんにちは いっと6けん「子どもを撮る」」 のテレビ露出情報

フォトジャーナリストの吉田ルイ子。ニューヨークの黒人が多く住む地区や人種隔離政策が行われていた南アフリカなどを撮影したことで知られている。吉田ルイ子は昭和9年に北海道生まれであり、企業の重役の1人娘で室蘭で育った。小学生の頃には生涯忘れられない体験をした。友人のアイヌの少年と飼い犬と一緒にある建物に入ろうとしたところ、門番の人が「アイヌと犬は入れない」と言ったとのこと。大学卒業後はジャーナリストを志し、放送局にアナウンサーとして入局。1961年にはフルブライトプログラムでアメリカへ留学した。そこである写真に釘付けになった。世界的な報道写真家ユージン・スミスが撮影した生命の誕生の瞬間だった。当時吉田ルイ子は大学が用意したアパートに住んでおり、場所はニューヨークのハーレムで黒人が集中して暮らしている街である。まずカメラを向けたのは隣に住む家族だった。撮影する相手との距離を縮めるて写真がそんなに怖くないもんだということを知ってもらうために、まずカメラを向こうにも渡して撮りっこをするとのこと。やがて黒人たちが様々な差別に直面していたことに気づいていく。そして1960年代、アメリカでは公民権運動が活発化していく。キング牧師などの指導者が現れ、人種差別の撤廃を求めていった。広告代理店で働き始めた吉田ルイ子は仕事の合間をぬって、ハーレムの様子をカメラに収めていく。その後、10年に渡るアメリカ生活に終止符を打ち日本に帰国した。翌年、その経験をまとめた「ハーレムの熱い日々」を発表。1975年にはベトナム戦争の最中のサイゴンで撮影した。1987年には南アフリカを取材し、その実態をまとめた「南ア・アパルトヘイト共和国」が評判となり、日本ジャーナリスト会議の特別賞を受賞した。東南アジアやアフリカ・南米など60か国以上を撮影して回った吉田ルイ子は撮影する相手に寄り添い、様々な社会問題を世に問い続けた89年の生涯だった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年3月12日放送 11:30 - 11:54 NHK総合
ひるまえほっと(放送100年)
200年代になると食材の魅力を知り尽くした市場の人ならではの料理紹介。水産仲卸の飯田知誉さんは洋風から和風まで様々な料理を披露してきた。飯田さんは収録前には必ず試作する。新型コロナの流行では1人スマホにむかって喋った。飯田さんは「安心安全なものおいしいものの情報を届けられればいい」と語った。

2024年12月30日放送 6:10 - 6:40 NHK総合
耳をすませば耳をすませば2024
魂のピアニストと呼ばれたフジコ・ヘミングは今年4月に亡くなった。フジコ・ヘミングは一時国籍を失ったり、耳が聞こえなくなるなど厳しい試練に直面。しかし、のちに遅咲きのピアニストとして世界中のファンを魅了した。詩画作家の星野富弘も今年4月に亡くなった。星野富弘は24歳の時、不慮の事故で手足の自由を失った。口に筆をくわえて草花を描き、言葉を添える独自のスタイルを確[…続きを読む]

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