- 出演者
- 池田伸子 伊藤海彦 瀬戸光 斎藤希実子
オープニングが流れた。
キッチンカーを災害にいかせなどの4時台の内容を紹介した。
山梨県河口湖町から中継。河口湖屋台村におじゃました。ナンピザドッグなどを紹介した。キッチンカーを災害時に役立てようという災害対応車両登録制度が今月1日から始まった。被災地のニーズに合わせて作ったキッチンカーを紹介した。
フォトジャーナリストの吉田ルイ子。ニューヨークの黒人が多く住む地区や人種隔離政策が行われていた南アフリカなどを撮影したことで知られている。吉田ルイ子は昭和9年に北海道生まれであり、企業の重役の1人娘で室蘭で育った。小学生の頃には生涯忘れられない体験をした。友人のアイヌの少年と飼い犬と一緒にある建物に入ろうとしたところ、門番の人が「アイヌと犬は入れない」と言ったとのこと。大学卒業後はジャーナリストを志し、放送局にアナウンサーとして入局。1961年にはフルブライトプログラムでアメリカへ留学した。そこである写真に釘付けになった。世界的な報道写真家ユージン・スミスが撮影した生命の誕生の瞬間だった。当時吉田ルイ子は大学が用意したアパートに住んでおり、場所はニューヨークのハーレムで黒人が集中して暮らしている街である。まずカメラを向けたのは隣に住む家族だった。撮影する相手との距離を縮めるて写真がそんなに怖くないもんだということを知ってもらうために、まずカメラを向こうにも渡して撮りっこをするとのこと。やがて黒人たちが様々な差別に直面していたことに気づいていく。そして1960年代、アメリカでは公民権運動が活発化していく。キング牧師などの指導者が現れ、人種差別の撤廃を求めていった。広告代理店で働き始めた吉田ルイ子は仕事の合間をぬって、ハーレムの様子をカメラに収めていく。その後、10年に渡るアメリカ生活に終止符を打ち日本に帰国した。翌年、その経験をまとめた「ハーレムの熱い日々」を発表。1975年にはベトナム戦争の最中のサイゴンで撮影した。1987年には南アフリカを取材し、その実態をまとめた「南ア・アパルトヘイト共和国」が評判となり、日本ジャーナリスト会議の特別賞を受賞した。東南アジアやアフリカ・南米など60か国以上を撮影して回った吉田ルイ子は撮影する相手に寄り添い、様々な社会問題を世に問い続けた89年の生涯だった。
井村丈思は、虐げられている弱い立場の皆さんの立場に立って思いなどを写真を通じて伝えていくのは簡単なことじゃないと思うが思いが伝わったと話した。
自動車の輸出価格について佐々木悠介が解説。日本からアメリカに輸出する自動車には4月から25%の関税が追加されている。そうした中、毎月日銀が発表している輸出物価指数では、5月の北米向け自動車輸出価格は前年同月と比べると18.9%下がった。価格が下がった要因について日銀はトランプ関税の影響を受けて自動車メーカー側が輸出価格を下げる動きが出ていると指摘しており、関税のコスト分をメーカー側が負担する動きも出ている。これまでのところ今年度1年間の関税措置の影響額についてホンダは6500億円、日産が4500億円、SUBARUが25億ドルを営業利益のマイナスとして見込んでいる。また、今年度の1年間の業績見通しについても合理的な算定が難しいとして未定とするメーカーも出ている。交渉が長引くと収益だけでなく雇用や賃金など経済全体への影響も懸念される。
太平洋戦争末期に旧日本軍が行った特攻作戦では6000人以上が死亡したとされ、その多くが20代の若者だった。出撃する前に郷土訪問飛行として故郷の空を尋ねた人がいた。堀求さんと重森計己さん。昭和20年5月25日、町に1機の軍用機が飛んで来たという。難波達さんの家には晋策さんが落とした日の丸があった。難波晋策さんは大正9年に難波家の三男として生まれた。成績優秀で運動神経も抜群だったという。日中戦争が始まった翌年17歳で陸軍に入隊する。そして特攻隊員となった。第63振武隊に配属された。郷土訪問飛行から13日後の昭和20年6月7日、第63振武隊は沖縄方面に向け出撃した。
特攻隊員の郷土訪問飛行について。他にも九州や四国で少なくとも3例ほど記録があるとのこと。吉備中央町では都市部のような空襲はなかった地域なので郷土訪問飛行は非日常的な印象に残る出来事だったと思う。重森計己さんは「遠い所の話のように感じていた戦争で人が死ぬということを晋策さんがこの上で示し自分たちの脳裏に刻まれた」と話す。
南阿蘇鉄道が前線復帰した日の1番列車に密着したドキュメント。南阿蘇鉄道は第3セクターの鉄道。社内から阿蘇の絶景を楽しめる鉄道として観光客から愛されてきたが、熊本地震の為、運転見合わせが続いていた。復旧工事を経て2023年7月15日、全線で運転再開を迎えた。朝6時4分。中松駅に来ている。1番列車が高森駅を出発した。復旧した区間は中松駅から立野駅。道床の白い砂利は復旧の証!長陽駅に到着した。長陽駅では地元の人達も清掃活動を行い、駅を見守ってきた。第一白河橋りょうを渡った。犀角山トンネルは建設機材が入れるよう山ごと削り平らにした。立野駅に到着した。運転士の寺本顕博さんは「沢山の人が手を振ってくれて感激した。」等とコメントした。
スタジオトーク。池田伸子は「熊本駅から乗った。緑がきれいだった。」等とコメントした。NHKラーニングではフルバージョンを公開している。
埼玉・八潮から中継。ミッションは「八潮の”枝豆ヌーヴォー”を100粒食べろ!」。枝豆農家の佐藤さんを取材。八潮で枝豆が育てられている理由について佐藤さんは「取ってすぐに売れる場所があることが大きい。」などと話した。枝豆ヌーヴォーは毎年5月下旬に解禁されるという。ミッションに挑戦するため、佐藤さんが自身の畑で採れた枝豆料理を振る舞ってくれた。枝豆を食べた瀬戸光は「甘くて香りが良い。」などと話した。佐藤さんの母は「枝豆を茹でる時間は8分くらい。」などと話した。
テーマ「漁港の思い出」について視聴者の声を紹介。「実家が漁師でいずれは継ぐ予定だったが、私は船酔いが強く次男に任せ組合職員となった。弟が最高の寒ブリが取れたと行った時は漁港で抱き合った」、「20代の頃友人と宮城県の松島へドライブ旅行へ行き、帰りに市場で牡蠣を買って食べて帰ってきた」、「20歳の頃、当時付き合っていた彼女と漁港付近でドライブをしていたら海に落ちそうになった。彼女が叫ばなければ海へ落下していた」。