1972年10月、フィリピンのジャングルでも一人の残留日本兵の大捜索が行われていた。当時そこで残留日本兵が銃撃戦を行い、一人が逃亡したとの報道が流れていたためである。小野田寛郎少尉は陸軍中野学校で厳しい訓練を受けた兵士だった。家族が呼びかけても中々姿を現さず、ついには高齢の父親までもが島に足を運び説得にあたった。小野田さんが姿を現したのは2年後で、元上官から任務の解除命令を受けてようやく投稿し生還した。1974年3月、30年ぶりに帰国した小野田さんは英雄のようにもてはやされた。しかし小野田さんの目に映る日本は大きく様変わりしており、高度経済成長を遂げ豊かさを謳歌する人々はアメリカの文化も喜んで受け入れていた。違和感を募らせた小野田さんだったが、兵士唯一の名誉である勲位を間違われていたことでないがしろにされていると感じ、こんな国で死にたくないとブラジルへ移住。帰国からわずか1年で日本を去った。