99歳の神馬文男さんは15歳で海軍飛行予科練習生として入隊した。14~17際の少年が志願して入り訓練を行った予科練だが、1人の責任はみんなの責任ということを押し付けられたと当時を振り返った。連帯責任が徹底され、天皇に忠義を尽くすことであればそのために死んでも親はどんなに喜ぶでしょうといった考えがあったという。国のために命を捧げる思想を植え付けられ、1944年に偵察員として戦地に向かったという。特攻作戦が始まると神馬さんも特攻に志願したが、犠牲的精神が育てられる中残れるはずのない空気感があったと振り返った。しかし、戦後もスターリンによるシベリア抑留など苦しい日々が続いたという。神馬さんは戦争の愚かさを伝えるとともに、正義の戦争なんてあるわけない、名誉の戦死なんてあるわけないと訴えている。戦争を繰り返さないために必要なことを聞かれると、個人個人がよく勉強して友達と話し合い信じるものを実行して、他の国々とも手を携えてやっていくことが必要だと話している。
住所: 北海道札幌市豊平区月寒東2条2
URL: http://www.city.sapporo.jp/ncms/shimin/bunkazai/bunkazai/syousai/00k_tukisappu.html
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