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「はやとの風」 のテレビ露出情報

鹿児島・霧島市の嘉例川駅。訪れる人たちの目的は百年の旅物語かれい川。肉も魚もなく、地味な野菜のおかずしかない駅弁の成功までの道のりを紹介。その厨房は驚くほどこぢんまりしており、“奇跡の駅弁”の生みの親である山田まゆみさんは「既製品を入れたら寝られないんです」などと話した。物語の始まりは彼女がまだ主婦から惣菜の移動販売を開始したばかりである2004年のことだった。当時は九州新幹線の部分開通にあわせて肥薩線にも「はやとの風」という観光列車が走ることになっていた。その時、嘉例川駅の駅舎は築100年という節目でそれに合わせて駅弁を作ろうと“駅弁コンペ”が開催されていた。そのコンペに呼ばれた山田さんは自作の弁当を持ち恐る恐る会場に向かうと、そこにいたのはいかにもお偉方といった面々であった。しかも有名旅館の板長が出品したのは立派なものだったため山田さんは入らないで帰ろうとしていた。只野公康さんは山田さんをコンペに誘った張本人で始めは何度も断っていたが、粘られてつい来てみたが場違いを感じてしまっていたのである。只野公康さんがなぜ肩入れしたのかというと「素材が素晴らしいお弁当」とのことであり、審査結果は圧倒的に山田さんであった。それは100年前の味を再現した“真の素朴さ”となっていた。ところがそこにいた板長たちは陰口を叩き噂がネットで広がり、それを聞いた山田さんは厨房から建てることを決めたという。当時の販売場所は駅から約50m離れた建物の軒下であった。当時販売を手伝ってくれていたのは弁当の売りとなるシイタケを作ってくれていたシイタケ農家の松下さえ子さんだったが、2人で売れ残りを食べては「おいしいね」と言っていたとのこと。転機は3ヶ月後に訪れ、売れ残りを客室乗務員に渡すとその数日後電話がかかってきていた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年9月28日放送 20:54 - 23:09 フジテレビ
Mr.サンデー(特集)
「はやとの風」の客室乗務員に駅弁を渡した数日後「車内で売りたい」と電話がかかってきていた。彼女たちはたった1個の駅弁を分け合い、その味に感動して本社に直談判していた。それは山田さんが目指した自然の味・素材の味の素晴らしさが伝わった瞬間であった。素材のすごさや出来上がるまでの苦労を弁当で表現しているのだという。賞味期限は手書きで書いており、箸袋もお手製となって[…続きを読む]

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