石川・能登の今を取材。石川・輪島市の「もとやスーパー」は9月の豪雨後でも営業し住民が命を繋いだ場所。あのスーパーは今。本谷社長は「かなりビックリされると思う」。先月30日から通常営業を再開。新鮮なお刺身も並ぶ。店の奥には全国から届く支援物資。全部0円。店内にボランティアの宿泊施設を作ったのは「復興の拠点になれば」との思いから。本谷店長は「みんなの日本中の優しさが集まった店舗」。
震災の爪痕が色濃く残るところも。輪島市の輪島高校。1月9日から新学期が始まる予定だった。鉛筆一本から始まった震災後の輪島高校。先週木曜日に輪島高校を尋ねた。平野校長は「基礎の部分に損傷が見つかって危険だということで、生徒の立ち入りが禁止された」。辛うじて使える校舎で授業を行っている。震災から2か月後の卒業式では体育館が使えず金沢市の石川県立音楽堂で開かれた。3年生は震災後、一度も校舎に入ることのないまま学び舎を後にした。卒業生の村本さんは現在、大学に通い、国語の先生になり輪島高校に赴任したいと思っているという。
8歳の本谷日々生君は今でも週末は大人に交じりボランティアに励んでいる。震災からもうすぐ1年。伝えていく取り組みも始まっている。石川県立歴史博物館・大井学芸課長が見せてくれたのは子ども達が作った正院避難所新聞。この新聞は珠洲市の正院小学校で避難してきた人を励ました壁新聞。大井学芸課長は「博物館で地震の記録として保管させて頂けないかというお願いをした。」と話した。
震災の爪痕が色濃く残るところも。輪島市の輪島高校。1月9日から新学期が始まる予定だった。鉛筆一本から始まった震災後の輪島高校。先週木曜日に輪島高校を尋ねた。平野校長は「基礎の部分に損傷が見つかって危険だということで、生徒の立ち入りが禁止された」。辛うじて使える校舎で授業を行っている。震災から2か月後の卒業式では体育館が使えず金沢市の石川県立音楽堂で開かれた。3年生は震災後、一度も校舎に入ることのないまま学び舎を後にした。卒業生の村本さんは現在、大学に通い、国語の先生になり輪島高校に赴任したいと思っているという。
8歳の本谷日々生君は今でも週末は大人に交じりボランティアに励んでいる。震災からもうすぐ1年。伝えていく取り組みも始まっている。石川県立歴史博物館・大井学芸課長が見せてくれたのは子ども達が作った正院避難所新聞。この新聞は珠洲市の正院小学校で避難してきた人を励ました壁新聞。大井学芸課長は「博物館で地震の記録として保管させて頂けないかというお願いをした。」と話した。
住所: 石川県輪島市町野町粟蔵73-2