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「アカプルコ(メキシコ)」 のテレビ露出情報

メキシコシティーには日系人が多く暮らすリトルトーキョーがある。今メキシコでは日本食がブームで現地の食材で工夫を凝らした料理が人気。次の冒険の舞台はグアダラハラ。スペインの植民地時代に商業の街として栄えた。まず訪ねたのはハリスコ州歴史文書館。貴重な古文書が補完された書庫。17世紀の古文書を見せてもらうと福地という人物のサイン。アカプルコの日本広場には400年前にメキシコとの貿易ルートを開くためにやってきた仙台藩の武士の志倉常長の像がある。
メキシコシティで志倉常長が滞在した場所にある青いタイルの家は壁一面を手書きのモザイクタイルで覆っている。常長が率いた使節団は総勢180人あまり。その中に漢字のサインを残した福地蔵人もいたという。名前をルイス・デ・エンシオに変えて仲間とは行動を共にせずメキシコに残った。歴史家のメルバ・ファルクはルイス・デ・エンシオは現地の女性と恋をし、結婚し娘も授かったという。結婚したエンシオはメキシコで生きる道を選んだ。問題はどうやって家族を養っていくか。エンシオは侍から商人になりメスカルというお酒を扱っていた。ファーストサマーウイカは飲みやすいと答えた。メスカルで事業拡大を目指したが商売はうまくいかず。さらに店が強盗に襲われた。エンシオの遺言書には負債という文字があり、貧困状態にあったと赤裸々に告白している。窮地に立たされたエンシオをすくったのはフアン・デ・パエス。彼は大坂生まれの日本人。1614年の大坂の陣で豊臣家と徳川家が激突したが、戦禍から逃れるようにパレスは日本を脱出。スペイン船で太平洋を横断しグアダラハラに流れ着いた。パレスの人生を変えたのがグアダラハラ大聖堂。洗礼を受けて名前を変えたパレスは運命の女性と出会う。
パエスはマルガリータ・デ・エンシオと出会ったがあのエンシオの娘。結婚したパエスは破産状態だったエンシオを引き取り共に暮す。計算に強くビジネスの才能があったパエスは大聖堂で働き始めると辣腕ぶりを発揮する。グアダラハラの発展につくしたパレスは街の名手の仲間入り。67歳で亡くなると大聖堂に葬られた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年8月21日放送 19:00 - 21:54 フジテレビ
奇跡体験!アンビリバボー幸福の青い蝶伝説
ブロッサール博士はダビッドの夢を叶えるために多くの仕事をキャンセルし依頼を引き受けた。こうして博士と親子は幻の青い蝶ブルー・モルフォを探すためメキシコへと旅立った。目的地はアカプルコ近くのジャングル。すでに冬になり寒気を迎えつつあるためブルー・モルフォが見つかる可能性は限りなく低い。だがダビッドの体力で行ける場所はそこしかなかった。12月でも常に30℃を超え[…続きを読む]

2024年7月8日放送 19:57 - 20:42 NHK総合
大追跡グローバルヒストリー大追跡グローバルヒストリー
1597年にフェルナンデスと主人をのせた船はフィリピンからメキシコへ。距離は1万キロ以上で、目的地はアカプルコ。太平洋貿易の拠点として栄えた港町で近年この町は犯罪組織が活発化に活動していて観光客を護るために治安対策を強化している。向かったのは大航海時代に海賊から貿易船を守るために築かれたサンディエゴ要塞。空からみると星のような形で至る所に大砲があり鉄壁のまも[…続きを読む]

2023年12月18日放送 13:50 - 15:45 フジテレビ
なりゆき街道旅新スポット&人気グルメ満載!浅草の旅
萬田がこの業界に入ったきっかけはミス・ユニバース。大学1年生の時におばさんが写真を送り日本代表として世界大会に行き、メキシコのアカプルコで1か月滞在したという。その時の審査員にデヴィ夫人がいたと話す。その後日本に帰り「なっちゃんの写真館」という朝ドラに出演。しかし主役になれず、挫折のような感覚を味わったという。また9のつく年が人生の転機だと萬田は話す。29歳[…続きを読む]

2023年12月17日放送 21:15 - 22:05 NHK総合
NHKスペシャル家康の世界地図 ~知られざるニッポン”開国”の夢~
家康は外国船を呼び寄せるだけでなく、日本自ら世界に海に乗り出すという野望も抱いていた。アメリカ大陸に植民地ヌエバ・エスパーニャを設置したスペインは、アカプルコを拠点にヨーロッパからアジアにまたがる世界中の品々を取引していた。家康はそこに日本の船を送り込み、現地で直接売買することで新たな貿易利益を手に入れようとしていた。さらに現地に渡った日本人には、現地の最先[…続きを読む]

2023年12月16日放送 12:40 - 12:45 NHK総合
Nスペ5min.(Nスペ5min.)
江戸時代を切り開いた徳川家康。家康の死後、日本は鎖国の元で独自の国造りを進めたが、それは家康が思い描いていた日本の姿と異なっていた。慶長5年に漂着したオランダ船に乗っていたウィリアム・アダムスは家康に海外と貿易する利点について力説し、家康は世界に目を開いていった。晩年の20年間は13の国や地域と106通もの書簡を交わし交流を深めようとしていた。さらに、家康は[…続きを読む]

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