- 出演者
- 上田晋也 島崎和歌子 ファーストサマーウイカ
戦国時代、激しい戦いの続く日本を飛び出し世界に羽ばたいた日本人がいた。太平洋を横断をしたどり着いたのは中央アメリカのメキシコ。古代文明のロマンと神秘的な大自然の観光の国。そのメキシコから発見された歴史的記録には謎に日本人の足どりが明らかになっている。その波乱万丈の人生を紹介。
オープニング映像。
この番組はグローバルな視点で世界中を旅しながら歴史に秘められた謎を大追跡していく番組。ファーストサマーウイカは現在大河ドラマで清少納言役をしているが歴史にはさっぱりだと答えた。今回は戦国時代にメキシコに渡った謎の日本人を大追跡する。
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- 大河ドラマ 光る君へ
日本から飛行機で12時間あまり、最初にやってきたのはメキシコの首都メキシコシティー。人口は2000万人を超える都市。16世紀にメキシコを征服したスペインによって築かれた歴史地区のソカロは、アメリカ大陸最大の規模を誇ったというメトロポリタン大聖堂から調査開始。スペインは新大陸で金や銀を手に入れて巨万の富を築いた。その中にある像は毒薬のキリスト。毒を塗られ黒くなったと言い伝えられる。世界各国に宣教師を派遣したというスペイン。礼拝堂で、戦国日本とメキシコをつなぐ手がかりを見つけた。その中には宗教画があったが宣教師の中にはちょんまげを結って和服を着た人物の姿が。スペインは太平洋を横断する航路を開拓使、宣教師や商人が続々と日本を目指す。そこにはそこしれない野心が秘められていたがヨーロッパ人は日本に熱い視線を注いでいた。その理由は金や銀だったという。黄金の国ジパングとして知られた日本。関ヶ原の戦いから11年後にはメキシコから外交使節が来日し金銀を探すために測量許可を徳川家康に求めた。
次に訪ねたのはメキシコ国立公文図書館。元刑務所という頑丈な建物に貴重な歴史記録が保管されている。日本の戦国時代の古文書を見せてもらうことに。この記録の中に決定的な証拠が。その資料の中には「ハポン」とあったが、これはメキシコ語で日本のこと。その名はガスパール・フェルナンデス。洗礼を受けてヨーロッパ風の名前を名乗っていたとされる。さらに驚くべき記述に誘拐され奴隷になったと書かれていた戦国時代の日本人がなぜ奴隷となりメキシコへ渡ったのか?
スタジオに早稲田大学教授の岡本隆司が登場しこの番組の良いところを語った。日本人奴隷のフェルナンデスの記録を発見したルシオ・デ・ソウザ博士。その人生は映画の主人公よりもドラマチックだったという。フェルナンデスは今の大分県の豊後国で両親と育った。しかし8~10歳のとき誘拐され奴隷として売られてしまった。鍵は織田信長にある。織田信長は西日本へと勢力を拡大をはかるために九州・豊後の戦国大名と友好を図った。しかし1582年に本能寺の変が勃発し信長は本能寺の変へ非業の死を迎えた。このあと九州の支配体制が動揺し、フェルナンデスが暮らしていた豊後の国でも戦乱が激化していた。九州の戦国武将の上井覚兼日記は戦場で目にした光景を書き留めていたが、濫妨人が女や子どもを引き連れて道が混雑していたとある。村を襲った兵士が戦利品として女性や子どもを生け捕りにし、フェルナンデスもこうして誘拐され売り飛ばされてしまったという。記録からはフェルナンデスが取引された場所もわかったがそこは長崎だった。
長崎県の出島にやってきたが1636年に外国人の居留地区として築かれた人口島。ここ長崎は戦国時代には南蛮貿易の港として栄えていた。当時の長崎を描いた南蛮屏風ではスペインやポルトガルからやってきた商人や宣教師。その傍らには荷物を運ぶ奴隷たちが。ルシオ・デ・ソウザはその奴隷の売買についてはキリストの宣教師が関わっていたという。契約する証明する役割を教会が果たしていた。フェスナンデスの証明書にサインをしたのはイエズス会。同じ日に洗礼を授けられ、名前も変化した。キリスト教徒に改宗すれば魂が救済されると、奴隷売買は正当化され広く行われていた。フェスティバルの主人となったのはポルトガル出身の商人のルイ・ペレス。フェルナンデスを不憫に思ったのが、ペレスは終身奴隷ではなく12年間の奉公人として契約した。スペイン語を学ばせ子どもと家族同然の態度で接したという。しかしペレスには誰にも言えない秘密にユダヤ人でキリスト教徒ではなかった。ヨーロッパにいると迫害される危険があったために日本に逃れてきたという。スペインはカトリックの教えに反する異端の取り締まりを強化し、各地に派遣された。審問官はユダヤ人から財産を募集し火あぶりの刑に処した。そして1592年には、長崎に異端審問官の手が伸びた。危険を察知したペレスはフェルナンデスとともに長崎を脱出し決死の逃避行でたどり着いたのはフィリピンのマニラだった。スペインに植民地にされていた場所だった。マニラでは5年に渡る潜伏生活を送ったフェルナンデス。しかし異端審問官は刻々と迫った。きっかけは密告で、ペレスは十字架の前で帽子を取らずに無礼だったなどと密告を受け、家に押し入られたペレスはそのまま逮捕。それがフェルナンデスにとって最大の試練だった。岡本さんは当時のキリスト教の考え方はキリスト教徒でなければ人ではないという考え方で、異教徒はキリスト教に改宗すれば人間になれるとされていたが、キリスト教徒のフリをして違う人な場合では裏切り者とされてしまうという。
ここで問題、海賊エドワード・ティーチは戦いの時のあるモノを帽子の下に入れていたがそれは何か?と問題が出た。正解は火のついた導火線。脅しの意味でつけていたが爆弾はなかったという。
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1597年にフェルナンデスと主人をのせた船はフィリピンからメキシコへ。距離は1万キロ以上で、目的地はアカプルコ。太平洋貿易の拠点として栄えた港町で近年この町は犯罪組織が活発化に活動していて観光客を護るために治安対策を強化している。向かったのは大航海時代に海賊から貿易船を守るために築かれたサンディエゴ要塞。空からみると星のような形で至る所に大砲があり鉄壁のまもりとなっている。要塞の内部は航海の歴史を学べる博物館。スペインの貿易船のガレオン船の模型があるが嵐に耐える頑丈な船体と風をうける巨大なマストが。しかし最先端の船でも太平洋横断は命がけだったという。ハリケーン以外にも病気も問題でその中でも壊血病が恐れられていた。ビタミン不足で出血し、多くの命が奪われていった。主人とともにメキシコに護送されたフェルナンデスだったがその中でアカプルコまで後二日と迫った中でペレスが命を落とした。天涯孤独の身でメキシコに到着したフェルナンデスは異端審問所に突然連行された。この時水面下で恐るべき陰謀が起こっていた。主人ペレスの没収財産の記録では、勝手に書き換えられフェルナンデスは終身奴隷となってしまった。新たな買い手となった人物は残酷でフェルナンデスは虐待を受け2年も過酷な日々を過ごしていたという。
絶望の淵に立たされたフェルナンデスは運命の大勝負に出る。裁判闘争はペレス家で学んだスペイン語を武器に訴え、奴隷ではないと主張した。しかし裏付けとなる証拠はないなか、現れたのはペレス家の子供達。ユダヤ教徒だった彼らは危険を承知で証言台に立った。幼い頃からともに育ったフェルナンデスを助けるためだったが異端審問官に捕まれば死ぬかもしれない。この証言が決定打となり裁判に勝利。釈放され自由を取り戻した。奴隷から解放されたフェルナンデスは自由の身となったがその後の足取りは分かっていない。祖国の日本に戻ることはなくメキシコの地で人生を終えたとされている。岡本は裁判沙汰になりフェルナンデスの存在が初めてわかる記録が残っていたという。
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- ガスパール・フェルナンデスルイ・ペレス
チャックモールという石像が手に持った器に載せていたあるモノとは?と問題がでた。正解は人間の心臓。太陽が永遠に輝き続けることをアステカの人々は願いエネルギーの源になると信じた心臓や血液を支えたという。
メキシコシティーには日系人が多く暮らすリトルトーキョーがある。今メキシコでは日本食がブームで現地の食材で工夫を凝らした料理が人気。次の冒険の舞台はグアダラハラ。スペインの植民地時代に商業の街として栄えた。まず訪ねたのはハリスコ州歴史文書館。貴重な古文書が補完された書庫。17世紀の古文書を見せてもらうと福地という人物のサイン。アカプルコの日本広場には400年前にメキシコとの貿易ルートを開くためにやってきた仙台藩の武士の志倉常長の像がある。
メキシコシティで志倉常長が滞在した場所にある青いタイルの家は壁一面を手書きのモザイクタイルで覆っている。常長が率いた使節団は総勢180人あまり。その中に漢字のサインを残した福地蔵人もいたという。名前をルイス・デ・エンシオに変えて仲間とは行動を共にせずメキシコに残った。歴史家のメルバ・ファルクはルイス・デ・エンシオは現地の女性と恋をし、結婚し娘も授かったという。結婚したエンシオはメキシコで生きる道を選んだ。問題はどうやって家族を養っていくか。エンシオは侍から商人になりメスカルというお酒を扱っていた。ファーストサマーウイカは飲みやすいと答えた。メスカルで事業拡大を目指したが商売はうまくいかず。さらに店が強盗に襲われた。エンシオの遺言書には負債という文字があり、貧困状態にあったと赤裸々に告白している。窮地に立たされたエンシオをすくったのはフアン・デ・パエス。彼は大坂生まれの日本人。1614年の大坂の陣で豊臣家と徳川家が激突したが、戦禍から逃れるようにパレスは日本を脱出。スペイン船で太平洋を横断しグアダラハラに流れ着いた。パレスの人生を変えたのがグアダラハラ大聖堂。洗礼を受けて名前を変えたパレスは運命の女性と出会う。
パエスはマルガリータ・デ・エンシオと出会ったがあのエンシオの娘。結婚したパエスは破産状態だったエンシオを引き取り共に暮す。計算に強くビジネスの才能があったパエスは大聖堂で働き始めると辣腕ぶりを発揮する。グアダラハラの発展につくしたパレスは街の名手の仲間入り。67歳で亡くなると大聖堂に葬られた。
メキシコ大使館の料理人のディエゴさんが作った特別なタコスを紹介。スパイシーな味がするというが豚肉の煮込みと米の入ったタコスだがこれは大航海時代にそれまでメキシコになかった食材が入りアジアの影響をうけてタコスも変化し米を食べるように。
エンディングの挨拶。
メキシコ大使のメルバ・ブリーアさんがメキシコと日本が歴史的な背景で友人であることを知ってほしいと答えた。さらに4今年5月にはグアダラハラ大聖堂には歴史的な発見に美しい白鷺が描かれた壺は日本の九谷焼。明治時代に作られたものだという。
エンディング映像。
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