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「南蛮屏風」 のテレビ露出情報

スタジオに早稲田大学教授の岡本隆司が登場しこの番組の良いところを語った。日本人奴隷のフェルナンデスの記録を発見したルシオ・デ・ソウザ博士。その人生は映画の主人公よりもドラマチックだったという。フェルナンデスは今の大分県の豊後国で両親と育った。しかし8~10歳のとき誘拐され奴隷として売られてしまった。鍵は織田信長にある。織田信長は西日本へと勢力を拡大をはかるために九州・豊後の戦国大名と友好を図った。しかし1582年に本能寺の変が勃発し信長は本能寺の変へ非業の死を迎えた。このあと九州の支配体制が動揺し、フェルナンデスが暮らしていた豊後の国でも戦乱が激化していた。九州の戦国武将の上井覚兼日記は戦場で目にした光景を書き留めていたが、濫妨人が女や子どもを引き連れて道が混雑していたとある。村を襲った兵士が戦利品として女性や子どもを生け捕りにし、フェルナンデスもこうして誘拐され売り飛ばされてしまったという。記録からはフェルナンデスが取引された場所もわかったがそこは長崎だった。
長崎県の出島にやってきたが1636年に外国人の居留地区として築かれた人口島。ここ長崎は戦国時代には南蛮貿易の港として栄えていた。当時の長崎を描いた南蛮屏風ではスペインやポルトガルからやってきた商人や宣教師。その傍らには荷物を運ぶ奴隷たちが。ルシオ・デ・ソウザはその奴隷の売買についてはキリストの宣教師が関わっていたという。契約する証明する役割を教会が果たしていた。フェスナンデスの証明書にサインをしたのはイエズス会。同じ日に洗礼を授けられ、名前も変化した。キリスト教徒に改宗すれば魂が救済されると、奴隷売買は正当化され広く行われていた。フェスティバルの主人となったのはポルトガル出身の商人のルイ・ペレス。フェルナンデスを不憫に思ったのが、ペレスは終身奴隷ではなく12年間の奉公人として契約した。スペイン語を学ばせ子どもと家族同然の態度で接したという。しかしペレスには誰にも言えない秘密にユダヤ人でキリスト教徒ではなかった。ヨーロッパにいると迫害される危険があったために日本に逃れてきたという。スペインはカトリックの教えに反する異端の取り締まりを強化し、各地に派遣された。審問官はユダヤ人から財産を募集し火あぶりの刑に処した。そして1592年には、長崎に異端審問官の手が伸びた。危険を察知したペレスはフェルナンデスとともに長崎を脱出し決死の逃避行でたどり着いたのはフィリピンのマニラだった。スペインに植民地にされていた場所だった。マニラでは5年に渡る潜伏生活を送ったフェルナンデス。しかし異端審問官は刻々と迫った。きっかけは密告で、ペレスは十字架の前で帽子を取らずに無礼だったなどと密告を受け、家に押し入られたペレスはそのまま逮捕。それがフェルナンデスにとって最大の試練だった。岡本さんは当時のキリスト教の考え方はキリスト教徒でなければ人ではないという考え方で、異教徒はキリスト教に改宗すれば人間になれるとされていたが、キリスト教徒のフリをして違う人な場合では裏切り者とされてしまうという。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年3月6日放送 15:10 - 15:40 NHK総合
美の壺File596 戦国の美 華麗なる戦い
南蛮文化が伝わり中でも宣教師や商人らが着ていたマントは憧れのファッションアイテムとなっていた。南蛮文化は戦国の装いに革新をもたらした。大阪城天守閣には豊臣秀吉が所有したと伝わる「富士御神火文黒黄羅紗陣羽織」がある。裾広がりのシルエットは南蛮のマントの影響を受けた。宝仙寺にも南蛮の影響を強く受けた武士の必須アイテムがある。ベースとなっているのは南蛮から輸入した[…続きを読む]

2023年12月9日放送 21:00 - 21:54 TBS
世界ふしぎ発見!(世界ふしぎ発見!)
Q「黄金の国・ジャパン」を強く印象付けた日本からポルトガルへの輸出品とは?正解は、屏風。金箔を貼った屏風は道なる黄金の国を思わせると、ヨーロッパで大人気になった。長崎歴史文化博物館にある南蛮人来朝之図には、日本に来航したポルトガル船の様子や、宣教師が描かれている。野々村真が正解だった。

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