- 出演者
- 福澤朗 今田耕司 菅井友香 佐久間良子
オープニング映像。
本日のゲストを紹介。出演映画140本以上の佐久間良子さん。1939年東京・練馬の生まれ。実家は大地主で西武線のマドンナと呼ばれた。高校3年生のとき、東映撮影所運動会に遊びに行った数日後、東映幹部が家にやってきてスター女優としてスカウトされた。19歳でデビューすると、東映の看板女優になった。「おんな太閤記」に出演して西田敏行と共演し、おかかは流行語になった。プライベートでは1970年に平幹二朗と結婚し14年後に離婚。舞台「鹿鳴館」では平幹二朗と夫婦役、長男・平岳大とは親子役を果たした。麻雀歴は50年以上。
佐久間さんのお宝はローマで買った磁器人形という。加藤豪さんの結婚式で使われたのだといい、10万円以下という値段だったことを覚えているという。予想も10万円だったが、評価額は20万円。阿藤芳樹氏は20世紀中頃にナポリで作られたものではないか、王冠にNの字が刻まれていて、これは元々はナポリのカポディモンテのものとなっているが、現在はナポリ製の陶器であればどこでも付けられているのだと紹介。そして、陶器のレース生地は本当のレースの生地に水で溶いた陶土をつけて焼成しているのだという。
大分・玖珠町の光林寺は来年開基400年を迎える寺となっている。依頼者は光林寺の衆徒・帆足道應さんで、福祉施設で働き高齢者の最期に立ち会ってきた中で仏教の教えを学ぶことが大切と考え、浄土真宗本願寺派の通信教育を受けて62歳で得度し、光林寺でも働いているのだという。1人暮らしの高齢者にも楽しんでもらいたいとみんなの食堂という試みを行っていて、昼は無料で手掛けるとともに賽銭箱で寄付を募る方法で、夜は食券を10枚1組1000円で販売する形式となっている。そして、お宝は大友宗麟の書状といい、帆足の名もここには見られた。
九州王・キリシタン大名として知られる大友宗麟は評価の難しい人物と言われる。後に大分県となる豊後国の守護大名・大友義鑑の嫡男として生まれ、聡明とされる一方で気性が荒い性格をしていたという。このことから国の行く末を案じた義鑑は宗麟の異母弟・塩市丸にするため宗麟派を放逐しようとしたが逆襲され斬殺されることとなった。宗麟は血なまぐさいお家騒動を経て1550年に家督を次ぐこととなる。宗麟は豊後にフランシスコ・ザビエルを招きキリスト教の布教を認めたが、その背景には南蛮貿易で武器や火薬を輸入する狙いがあった。西洋医術の病院も設立し、日本で最初の外科手術も行われたという。キリスト教信者も増加し教会や神学校が建てられるなど異国情緒漂う先進都市となった。宗麟自身は33歳の時に出家し、この時に宗麟という法名をもらうこととなった。前年には九州進出を目論む毛利元就に門司城で惨敗して心身を病みキリスト教に救いを求めたが、妻が八幡奈多宮の娘であったことから激怒されやむなく出家したと言われる。その後は毛利軍を九州から駆逐し豊前・筑前・備前・備後を手中に収めた。そして、薩摩・島津義久の討伐へ向かうにあたり妻と離縁してキリスト教に帰依し、洗礼名はドン・フランシスコとなった。そして、島津の日向侵攻を知ると日向にキリスト教徒の理想郷を作る事を掲げて耳川の戦に挑むが敗北し、命からがら豊後へと戻った。その後の宗麟は祈祷に没頭し神社仏閣を焼き討ちするなどした姿に家臣が離反していき衰退することとなった。宗麟は豊臣秀吉に援軍を要請したことで九州は平定され秀吉からは日向1国をたまわったが、宗麟は自分が行けばまた戦が起きるとこれを辞退し1587年に58歳でこの世を去った。そして、依頼品である宗麟の書状は長岩の者が狼藉を企てているとの文言が見られ、依頼者・帆足さんの親族の寺・光林寺の住職の先祖にあたるとされる帆足清太郎の名も書状にはあった。閏五月との記載があり、1562年に宗麟と名乗ってから1587年に死去するまでに閏五月があったのは1569年のみとなっている。この年には大友軍と毛利軍が多々良浜の戦が行われ、留守中に長岩城で反乱が起こるのを心配し、帆足清太郎ら玖珠郡衆に警戒を求めたものと見られる。
「大友宗麟の書状」の本人評価額は、100万円。鑑定結果は、300万円だった。お宝は本物で、本文は右筆が書いたとみられるが、戦国時代の書状は貴重だという。内容からは、大友宗麟が複数の有力者たちに出陣を要請したという歴史的事実がわかる。大友宗麟と町のつながりを示す重要な資料だという。
今回の舞台は、鹿児島県長島町。大小27の島からなる町。1974年に、黒之瀬戸大橋が開通。海の幸など長島ならではの絶品グルメを求めて、多くの観光客が訪れている。2大特産品は、赤土バレイショと鰤王。鰤王は、長島で養殖されるぶりのこと。ミネラルを豊富に含んだ赤土で育ったバレイショは、甘く濃厚な味わい。煮崩れしにくいのが特徴。
赤土バレイショ農家の宮路さんが持ち込んだのは、「ルイ・イカールのエッチング」。30年ほど前、アンティークショップに勤めていた娘がオーナーからもらったものだという。本人評価額は10万円。鑑定結果は、30万円だった。お宝は本物で、タイトルは「誘惑」。パリジェンヌのアールデコ調のドレスの装飾的な美しさが特徴。半獣神・パーンがパリジェンヌを誘惑している様子を描かれている。
中村さんが持ち込んだのは、壺。30年ほど前、自宅を解体していたときに出てきたものだという。本人評価額は、100万円。鑑定結果は、1万円だった。近代の大量生産品だという。
サツマイモ加工会社社長の永井さんが持ち込んだのは、「西郷隆盛の書」。もともと夫が買ったもので、永井さんが夫から150万円で購入したという。本人評価額は、150万円。
新地幸二さんのお宝は東郷青児の油絵。東郷も鹿児島の生まれで、同郷として誇りに思い、いつか作品を手に入れたいと思っていたところ、リサイクルショップで出会ったという。値段は安かったが、絶対に本物だと確信。しかし、家に持ち帰ると妻は激怒。本人評価額は300万円。査定結果は1000円。残念ながら偽物だった。
福山泰志さんのお宝は鳥居清信の美人画。数年前、タダで掛け軸を譲ってもらった。箱書きを調べたところ、鳥居清信の作と分かった。しかし、箱の収まりが悪いという。箱にしまうと何故か軸先から数センチ余ってしまう。本人評価額は50万円。査定結果は20万円。鳥居清信の作品ではなく、吉原真龍の作品だった。箱は別の作品の箱であると指摘。
依頼人は愛知県岡崎市の嶋田真由美さん。シングルマザーで子どもが2人いるという。高校1年生で妊娠し、高校を中退した。長男出産の翌年、次男を妊娠したが、夫との関係がうまくいかなくなり、離婚した。現在は自動車部品製造工場で働きながら家計を支えている。お宝は中国・殷時代のもの。おととし、母が他界し遺品を整理していたときにお宝が出てきたという。お宝は中国・殷時代の歴史的遺物、甲骨文字が書かれた骨。画像検索をしたところ、甲骨文字だとわかったという。
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- 岡崎市(愛知)
甲骨文字は古代中国において占いに用いられた最古の漢字。発見されたのは1899年。文部長官で古物収集家だった王懿栄の元に骨董商から不思議な文字が刻まれた甲骨が持ち込まれた。王は1000片あまりの甲骨を買い取り、考古学者の劉鉄雲とともに文字の研究・解読に挑んだ。その文字は殷王朝のものと判明した。殷王朝の歴代の王たちは神権政治を行ってきた。王は神の代理者であるとし、戦争や農作物の植え付け時期などあらゆる事を占いで決定していた。その際に用いられたのが亀の甲羅や牛などの肩甲骨。甲骨文字の成り立ちは6つに分類できる。象形文字、指事文字、会意文字などがある。依頼品は甲骨文字が書かれた卜骨、牛の肩甲骨のよう。解読してみると、3つの占いについて記されていた。
「中国・殷時代の歴史的遺物、甲骨文字が書かれた骨」。本人評価額は2000万円。鑑定結果は1000円。本物の甲骨文字ではないという。本物は必ず裏側に焼いた痕があるというのれレプリカだという。
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