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「神戸市立博物館」 のテレビ露出情報

大分・玖珠町の光林寺は来年開基400年を迎える寺となっている。依頼者は光林寺の衆徒・帆足道應さんで、福祉施設で働き高齢者の最期に立ち会ってきた中で仏教の教えを学ぶことが大切と考え、浄土真宗本願寺派の通信教育を受けて62歳で得度し、光林寺でも働いているのだという。1人暮らしの高齢者にも楽しんでもらいたいとみんなの食堂という試みを行っていて、昼は無料で手掛けるとともに賽銭箱で寄付を募る方法で、夜は食券を10枚1組1000円で販売する形式となっている。そして、お宝は大友宗麟の書状といい、帆足の名もここには見られた。
九州王・キリシタン大名として知られる大友宗麟は評価の難しい人物と言われる。後に大分県となる豊後国の守護大名・大友義鑑の嫡男として生まれ、聡明とされる一方で気性が荒い性格をしていたという。このことから国の行く末を案じた義鑑は宗麟の異母弟・塩市丸にするため宗麟派を放逐しようとしたが逆襲され斬殺されることとなった。宗麟は血なまぐさいお家騒動を経て1550年に家督を次ぐこととなる。宗麟は豊後にフランシスコ・ザビエルを招きキリスト教の布教を認めたが、その背景には南蛮貿易で武器や火薬を輸入する狙いがあった。西洋医術の病院も設立し、日本で最初の外科手術も行われたという。キリスト教信者も増加し教会や神学校が建てられるなど異国情緒漂う先進都市となった。宗麟自身は33歳の時に出家し、この時に宗麟という法名をもらうこととなった。前年には九州進出を目論む毛利元就に門司城で惨敗して心身を病みキリスト教に救いを求めたが、妻が八幡奈多宮の娘であったことから激怒されやむなく出家したと言われる。その後は毛利軍を九州から駆逐し豊前・筑前・備前・備後を手中に収めた。そして、薩摩・島津義久の討伐へ向かうにあたり妻と離縁してキリスト教に帰依し、洗礼名はドン・フランシスコとなった。そして、島津の日向侵攻を知ると日向にキリスト教徒の理想郷を作る事を掲げて耳川の戦に挑むが敗北し、命からがら豊後へと戻った。その後の宗麟は祈祷に没頭し神社仏閣を焼き討ちするなどした姿に家臣が離反していき衰退することとなった。宗麟は豊臣秀吉に援軍を要請したことで九州は平定され秀吉からは日向1国をたまわったが、宗麟は自分が行けばまた戦が起きるとこれを辞退し1587年に58歳でこの世を去った。そして、依頼品である宗麟の書状は長岩の者が狼藉を企てているとの文言が見られ、依頼者・帆足さんの親族の寺・光林寺の住職の先祖にあたるとされる帆足清太郎の名も書状にはあった。閏五月との記載があり、1562年に宗麟と名乗ってから1587年に死去するまでに閏五月があったのは1569年のみとなっている。この年には大友軍と毛利軍が多々良浜の戦が行われ、留守中に長岩城で反乱が起こるのを心配し、帆足清太郎ら玖珠郡衆に警戒を求めたものと見られる。
住所: 兵庫県神戸市中央区京町24
URL: http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年5月11日放送 19:00 - 19:54 テレビ朝日
ナニコレ珍百景(ナニコレ珍百景)
地域では知られているが全国で知名度が低いもの特集。大分の知名度86.5%のやせうまは、薄っぺらなきなこもち。八瀬がきっかけとなった人名で「うま」は「まんま」から。大分の知名度89.9%のざびえるは、バターを練り込んだ皮に白餡が入ったお菓子で、フランシスコ・ザビエルが由来。香川の知名度92.8%の名物かまどは、塩を炊くかまどの形に焼き上げたお菓子で、白インゲン[…続きを読む]

2025年5月8日放送 23:10 - 23:15 テレビ朝日
And One(And One)
神戸ストークスの谷選手と道原選手が、神戸ポートタワーを訪れた。神戸ポートタワーには、神戸ストークスの選手やマスコットのパネルがある。こうべ花時計、神戸市立博物館を紹介。

2025年4月30日放送 5:20 - 8:00 TBS
THE TIME,けさの見出し 知りTIME
織田信長が送ったとされる文書は、約100年前に所在不明となっていたが、滋賀県の百済寺で再び発見。驚きの内容は、比叡山焼き討ちなどお寺に厳しいイメージがあるが、百済寺は保護するという内容だった。天下統一後は本拠地を滋賀にする野望も読み取れるという。

2025年4月30日放送 4:30 - 5:20 TBS
THE TIME’(ニュース)
約100年前に所在不明となっていた織田信長が書いたとされる古文書が、滋賀県の百済寺で再び発見された。この文書には、天下統一後は本拠地を滋賀にしようとしていたことや、そのために百済寺に注目していたことが読み取れるという。

2025年1月4日放送 10:00 - 10:30 テレビ朝日
題名のない音楽会箏の革命者をたどる休日 ~失われた音を求めて
箏の起源は、安土桃山時代に九州北部で始まった「筑紫箏曲」。現在は伝承が途絶え、その音は失われた。番組がやってきたのは、福岡県久留米市にある「大本山善導寺」。ここで僧侶・賢順が合奏楽器だった箏を独立させ、歌の伴奏の「箏曲」というジャンルを確立させた。肖像画などは残っていない。かつて使っていたとされている筑紫箏は佐賀の郷土資料館に所蔵されている。

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