- 出演者
- 福澤朗 今田耕司 菅井友香 平野早矢香
本日のゲストは卓球元日本代表の平野早矢香さん。1985年栃木県鹿沼市で生まれ両親の影響で5歳から卓球を始めると小学2年で全日本選手権バンビの部で準優勝、高校1年生で全日本選手権ジュニアの部で優勝した。卒業後は社会人の名門ミキハウスに入社、ウィークポイントを古武術研究家甲野善紀氏から体得し2004年に全日本選手権シングルスで優勝、2008年世界卓球団体戦では9勝1敗でエースとして銅メダル獲得に貢献した。強くなる可能性があると思えば何でも取り入れ雀鬼桜井章一氏に勝負しとしての心構えを伝授してもらったこともある。2012年ロンドン五輪団体戦準決勝では日本卓球史上初の銅メダルを獲得し2016年に引退し後進の指導やスポーツキャスターとして活躍している。平野さんは今月17日からカタール・ドーハで開幕する世界卓球の解説を務め、福澤キャスターととも大会を盛り上げる。
卓球 元日本代表 平野早矢香さんの依頼品は「カツミ社製 HOゲージ」。グリーン車などが付いているもので実際に動くということ。本人評価額は50万円だったが評価額は3万円。1964年のカツミ社製の165系の模型で、数があるためこの金額ということ。
東京・三鷹市の滝沢英行さんの依頼品を紹介。個人の趣味で集めているが中でもスター・ウォーズ第1作目公開からパンフレットやポスターなどを収集している。雑誌に個人売買の広告を出していたが連絡があり実物を見ずに購入を決めてしまった350万円の有名イラストレーターの作品だという。
依頼人が持ち込んだのは実物を見ずに350万円で購入した生頼範義さんが描いたとされるススター・ウォーズ 帝国の逆襲にまつわる絵。
イラストレーターの生頼範義は1935年に兵庫県・明石市に生まれ、高校卒業後に東京藝術大学・絵画科に入学した。学生時代は人物デッサンに注力したがこれ以上教わることがないと悟り3年で中退し、アルバイトをしながら作品を作り続けた。25歳の時に銀座で初めて個展を開き、1962年には結婚を機にイラストレーターとして活動を始めた。1966年に手掛けた吉川英治全集の新聞広告がきっかけでブレイクし、装画の仕事が舞い込むようになった。仕上げた作品はSF・ミステリーなど幅広ジャンルで、生涯で1500点以上の装画を手掛けた。また映画「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」では日本版ポスターのイラストを担当し、遠近法をあえて無視する斬新なデザインで話題となり、国際版ポスターにも採用された。どの仕事でもアシスタントは一切使わず毎日10時間以上アトリエにこもってすべて1人で完成させてきた。2015年に他界したが、アトリエには大量の未完の油絵があった。
生頼範義のスター・ウォーズの絵の本人評価額は購入した時と同じ350万円で、結果はジェダイの帰還の際に描いた本物で250万円だったが、オークションであれば350万円を超える可能性は十分あるという。
深谷市おすすめスポットBest3。3位「七ツ梅酒造跡」。300年以上続いた酒蔵の建物を活用した商業施設で、カフェや映画館などがある。
深谷市おすすめスポットBest3。2位「ふっかちゃんミュージアム」。道の駅「はなぞの」に併設されていて、深谷市のイメージキャラクター ふっかちゃんのグッズを販売している。
深谷市おすすめスポットBest3。1位「渋沢栄一記念館」。渋沢栄一のアンドロイドによる講義を聞くことなどができる。
スニーカーを集めている瀬山竜一さんの依頼品は「幹山伝七の植木鉢」。10年ほど前、盆栽が趣味の父が100万円で購入したという。本人評価額は100万円。鑑定額は150万円。
村田良一さんの依頼品は1970年の大阪万博で購入したパノラマステレオビューアー「PAN-PET」。中に装填されたフィルムには万博会場の空撮やパビリオンなどが映っている。当時の販売価格は1200円。本人評価額は6万円。鑑定額は7000円。
山下君代さんの依頼品は「栃木県立足利女子高校のリカちゃん人形」。2019年創立110周年を記念して作られたもの。2000体限定で1体6980円だった。本人評価額は2万円。鑑定額は7000円。
谷津裕士さんは世界史の教材として骨董品を使いたいという。2200年前のアレクサンドロス大王の銀貨などを授業では実際に使っているが、お宝は清朝・康煕帝時代の磁器であり、骨董市で教科書の資料として見た覚えがあると思い、1万5000円という安さであったが手に取ってしまったという。30万円と予想したが、評価額は5000円だった。中島誠之助氏は雑な作りであり型で作られていると指摘した。
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- アレクサンドロス3世康煕帝深谷市(埼玉)
静岡・浜松市の鈴木章介さんはプロ野球のトレーニングコーチとして巨人V9を支えた。現役時代は陸上・十種競技の日本記録保持者として1964年の東京オリンピックに出場し15位という結果だったが、監督だった川上哲治からトレーニング専門のコーチとしてフィジカル面の指導にあたってほしいと要請され指導者としての人生が始まった。跳躍選手のトレーニングである短距離ダッシュなどを取り入れたといい、野球以外の競技からコーチが来たことに困惑する声もあったものの王貞治・長嶋茂雄の2人は話を聞いてくれていたといい、王さんは雨の中でも一緒に走ってくれたと振り返っていた。
鈴木さんは往来の名選手からはオリンピックに出るわけじゃないとの声も聞かれたがONの2人はよく話を聞いてくれたと振り返った。お宝も「読売ジャイアンツ 日本シリーズV9 ウイニングボール」となっている。
読売ジャイアンツは巨人大鵬卵焼きとして昭和の子どもから人気を博していた。ミスタープロ野球・長嶋茂雄、世界のホームラン王・王貞治を擁し球史に残る9年連続で日本一に輝いた。高度経済成長真っ只中の1965年・昭和40年のことで、リリーフ投手・宮田征典は名前が呼ばれるのが8時半ごろだったことから8時半の男との異名も付いた。昭和41年は前年にドラフト会議が導入されると1位指名された堀内恒夫が開幕13連勝など16勝をあげて防御率1.39という成績で沢村賞を受賞した。昭和42年は赤い手袋がトレードマークの柴田勲が自己最多の70盗塁を上げている。昭和43年は高田繁がドラフト1位で入団し塀際の魔術師との異名をもつ守備力で名を馳せた。昭和44年は金田正一が前人未到の400勝をあげている。そして、昭和48年は阪神に0.5ゲーム差をつけられる中甲子園での直接対決を9-0で制し、日本シリーズは堀内が投手ながら2本の本塁打を放つ活躍を見せ南海を4-1で勝利している。日本シリーズの連覇記録はV9をのぞけば4連覇が最長記録となっている。そして、依頼品であるV9のボールは川上監督に加え、長嶋茂雄・王貞治ら21名のサインが書かれている。