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「アッツ島」 のテレビ露出情報

最初の証言者となるのは、1943年に徴用されて陸軍の工場で働くことになった竹鼻信三氏の日記。身体が弱く、兵役に就けなかったことを負い目に感じていた竹鼻は徴用される喜びを日記に綴っている。当時の日本はガダルカナルで米軍に敗北し、攻撃拠点となるラバウルを巡る消耗戦を連合国軍と展開していた。政府は失った飛行機や武器弾薬を増産するために徴用を強化し、その1人である竹鼻は兵器の組み立て業務を担うことになった。一方、こうした生産力の偏重は国民生活にも影響を及ぼし、東京の主婦・金原まさ子は娘の好物であるキャラメルの配給が減っていたことを日記に記している。
一方、食料の生産を担う農村部は深刻な事態に直面していた。新潟県の深才村で村長を務めていた遠藤倉治は、兵役や徴用による人手不足に苦しむ様子を日記に綴っている。政府から米の供出を要求される量も年々増えていく中で、村の農家は悲鳴を上げていた。都市部でも配給が滞りがちになっていたことから闇取引が横行し、主婦の金原も闇取引に手を染めたことを日記で打ち明けていた。農村では供出に反発する農家の離農や農地返還も相次ぎ、工場では厳しい労働に反発した行員の手抜きやサボりが横行。工場での労働に邁進していた竹鼻も熟練工の出征や徴用により著しく低水準なものとなった日本の工業力の現実を目の当たりにし、大きな不満を抱えるようになった。
政府はさらに、徴用した市民を戦場へと送り込むようになった。工業学校の土木科を卒業したばかりの赤羽恒男は18歳にして軍属となり、日本軍が占領したブーゲンビル島での飛行場建設業務を行うよう命令される。ブーゲンビル島での戦闘記録はほとんど残っておらず、赤羽のような軍属や兵士たちの手記だけがその様子を物語っている。赤羽は乗船していた輸送船が米軍の魚雷攻撃を受けて挫傷し、身一つで上陸する羽目になったことを手記に綴っていた。上陸後、赤羽たち軍属は一面に鬱蒼としたジャングルが広がる中でノコギリやノミを使った原始的な方法で飛行場建設を行うことになる。さらに、作業中も度々米軍機が飛来しては建設を妨害していった。
攻勢を強める連合国軍は潜水艦による攻撃で日本軍の輸送船を次々に撃沈。毎月20隻以上の輸送船を撃沈される大打撃を受けていた日本は民間船舶の徴用や新造船の就役などにより急場を凌いだが、やがて限界が訪れる。輸送船の喪失により輸送量が236万トンも減少した日本は綿花や工業用の原材料の輸入を極限まで減らしたが、それでも輸送船不足は解消できなかった。
ブーゲンビル島の赤羽は戦死者が増え続ける過酷な戦場で連合艦隊司令長官・山本五十六の来訪を心待ちにしていた。山本は米軍の合理性と生産力、科学力に大きな脅威を抱いており、前線のブーゲンビルの将兵を尋ねることで慰労しようと考えていたのである。しかし、それが叶うことはなかった。山本が搭乗した期待はブーゲンビル島に到着する直前に撃墜され、前線の将兵や軍属は大きな失望と敗戦の予感を抱くことになる。同じ頃、内地でも別の理由により動揺が広がっていた。アジアの占領地から内地へ食料を運ぶ輸送船が連合国軍により攻撃されたことで食料不足が深刻化し、銃後の市民たちも戦争の先行きに不安を感じるようになっていたのである。
そんな中、北太平洋に位置するアメリカ領のアッツ島で行われた戦闘が市民や将兵の意識を大きく変えることになる。アッツ島は開戦の半年後に日本軍により占領されていたが、5月に行われたアメリカ軍との戦闘で島の守備隊2600人あまりが全滅。銃後の市民たちはその情勢に釘付けとなった。アッツ島守備隊の兵士たちは物資不足とアメリカ軍の攻撃に苦しんだ後、山崎保代部隊長と共に米軍部隊への突撃を敢行。到底勝ち目のない無謀な攻撃は、相対した米軍兵士たちに大きな恐怖を植え付けた。守備隊の壮絶な戦死は政府により「玉砕」として美化され、戦場の現実を痛感した銃後の市民たちは戦争への疑問や不満を捨てて「戦い抜くしかない」と考えるようになった。
アッツ島の玉砕から程なくして、山本五十六の国葬が執り行われる。尊い犠牲に突き動かされた市民たちと政府は徴用や動員をさらに加速させ、やがて10代の青少年たちも戦争に協力するようになっていった。

他にもこんな番組で紹介されています…

2023年8月23日放送 23:50 - 0:35 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀 バタフライエフェクト)
1941年12月8日の真珠湾攻撃によって幕を開けた太平洋戦争。若いアメリカ人たちは「リメンバー・パールハーバー」を合言葉に軍に殺到したが、彼らの中で日本人について理解していた者はごく僅かで、日本語を理解できる者は50人程度しかいないとされていた。アメリカ政府は日本語を理解できる諜報機関を設立するため、全米から優秀な若者を招集する。その内には日本語を理解できる[…続きを読む]

2023年8月12日放送 12:40 - 12:45 NHK総合
Nスペ5min.(Nスペ5min.)
太平洋戦争開戦から1年余が過ぎた1943年。個人が記した日記や手記を紐解くと戦争の影響が確実に表れていた。国は兵役についていない人々を軍需工場などに強制的に動員する徴用を拡大。京都で呉服店に勤務していた竹鼻は妻子を残し大坂の陸軍工場で働くことになった。身体が弱く兵役につけなかったことを負い目に感じていた竹鼻は軍のために働ける喜びを綴っていた。やがて竹鼻は不満[…続きを読む]

2023年8月12日放送 0:06 - 1:01 NHK総合
NHKスペシャル新・ドキュメント太平洋戦争1942 大日本帝国の分岐点 前編
1942年、東京・四谷に住んでいて金原まさ子は一人娘の子育てをしながら戦時下の想いを日記に綴っていた。東京で新聞記者をしていた森正蔵は新年を清々しい気持ち迎えていた。元日の午後、森は新聞社であるニュースをみた興奮を日記に綴っていた。太平洋戦争のニュース映像だった。1か月前の日本の真珠湾奇襲攻撃をした記録映画は立ち見が出るほど大ヒットした。市民や兵士など250[…続きを読む]

2023年6月27日放送 5:00 - 6:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本(ニュース)
太平洋戦争中に旧日本軍がアリューシャン列島・アッツ島を占領し、約2600人の部隊がアメリカ軍に滅ぼされた「アッツ島玉砕」から80年。札幌市中央区で慰霊祭が行われ、遺族ら40人が参列した。郵便局員として派遣されていた父親を亡くしたという遺族が取材に答え、家族が引き離される戦争に反対していきたいと述べた。スタジオからは、遺族団はアメリカの基地にも定期的に訪れて不[…続きを読む]

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