西岡京治はブータンの厳しい状況を理解していたため不満を漏らさず受け入れた。ブータンは1年の寒暖差が30℃あるため農業には厳しいが、寒暖差が大きいほど育つ大根がブータンの気候に合うと考えた。3か月後大きな大根が出来上がった。この大根は村中の評判になり西岡の環境も大きく変わることに。当時国を治めていた第3台国王ジグミ・ドルジ・ワンチュクが国中にもっと大根づくりを広めたいとのことで西岡には2万4000坪の農地が与えられた。その農業試験場でブータンにはなかった白菜・キャベツ・人参などの野菜を栽培した。更に新たに日本の米作りを教え、日本式の稲作により収穫量が向上した。ブータン各地から役人が訪れ西岡の農業技術がブータン中に広まっていった。ブータンに来てから8年目の1972年、3代国王が急逝しまだ16歳の第4代国王が即位した。西岡はその国王から忘れられた土地を救ってほしいとの要請を受ける。シェムガンという地域は首都から車で1日、徒歩で4日かかる辺境の地だった。妻は体調を崩したこともあり連れて行けず子どももまだ6歳だったため西岡は家族を日本に返し一人でシェムガンに向かった。シェムガンに平地はほとんどなく急な斜面ばかりで村人たちの焼畑農業で僅かな土地も荒れ果てていた。西岡はまず安定して収穫できる稲作へ切り替えるため村人との信頼関係を築くところから始めた。村人との話し合いは5年間で800回にも及んだ。荒れた斜面が多い土地を農業が出来る平地に切り開くことや、日本ではコンクリートでの水路が多いがシェムガンにはコンクリートがなく村にあふれていた竹を使い366本の水路を作った。また専門的な知識が無くても作れる吊り橋を17本作り上げた。また並行して現地に定住出来るよう学校や診療所を開設した。稲作にとりかかった2年後、ほとんど採れなかった米が収穫できた。その後も西岡はブータンの気候に合うように野菜の品種改良に取り組んだ。努力は実を結びブータンで農民の意識改革と食料自給率が向上した。また当時は通貨が普及しておらず物々交換で生活する地域も多かったが、商売としての農業が定着した。しかし1992年に敗血症のため59歳で急逝した。西岡は国葬され集まった5000人がお経を唱えた。
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