- 出演者
- 藤本美貴 渡辺えり 児嶋一哉(アンジャッシュ) 今田耕司 安藤優子 池谷亨 アレン 池田美優
今夜は東ティモール、ブータンなど知られざる秘境の国に潜入。
若い頃にどんなことで幸せを感じたかについて、今田耕司は90円だったが初めての給料をもらった時、渡辺えりは風呂があるアパートに引っ越した時などと話した。アレンはお金は心の豊かさに直結すると話した。
中国は人口14億489万人、世界第2位の経済大国で、犬猫の飼育頭数は日本の約7.5倍。市場規模も6兆6000億円と日本の約3.5倍。江蘇省のシノジーンという会社では敷地内で犬や猫が飼われており、約2万6000平方メートルの土地に4棟の建物がある。その衝撃的な仕事とはペットのクローンを作ること。中国ではペットのクローンは禁止されておらず倫理問題はあるが利用者は増加している。シノジーンはクローンペットのトップ企業の1つ。シノジーンは2017年からこれまでに900匹以上のクローンペットを誕生させてきた。1匹誕生させるのに780万円かかるという。また依頼は国外からもあるという。特別に研究施設を取材させてもらう。ペットの細胞はマイナス196℃の液体窒素で厳重保存されている。クローンを作るには元の犬、卵細胞を提供するメスの犬、代理出産する犬の3匹が必要となる。体への負担や成功率からメス2匹で役割分担されている。まず基の犬の細胞からDNAを取り出して、メスの卵細胞から核を取り除き基の犬の細胞核を入れたら、その後別の犬の子宮に移植する。成功すれば2か月ほどでクローンが生まれ、生後2か月すると依頼主に引き渡される。クローンペットの研究員の給料は作業数・卵細胞の採集数・成功率などが評価に影響するという。31歳の研究員は月収約22万円、中国の民間企業の平均月収である約12万7500円と比べるとかなり高い給料となる。
ブータンは世界一幸せな国のイメージを多くの人が持つが、最新の幸福度ランキングでは1位~10位までを北欧がほぼ独占。日本は61位、ブータンは調査対象外のためランキング外。ブータンは日本から約5000km離れた中国とインドに接する国、九州と同じくらいの国土に山梨県の人口よりやや多い78万人が暮らしている。1907年にウゲン・ワンチュクが初代国王となり約100年間世襲の王政支配が続いている。その政策の一つが1974年まで続いた外国との接触を厳しく制限する鎖国政策。鎖国が終わった1974年時点では電気・自動車・電話も普及しておらず1999年にテレビ放送とインターネットが開始された。2006年からはジグミ・ケサル・ナムギャル・ワンチュクが即位している。街には国王の写真だらけで親日家としても知られ、東日本大震災の時は東北地方を訪れ祈りを捧げ国会で演説も行った。ブータン文化を保護する政策のもと今も独自の民族衣装で生活し、職場や学校での着用が義務付けられている。現在も国内には信号機が1つもなく警察が手信号で交通整理している。またブータンでは2010年代に初めてエスカレーターが導入された。生活の基盤は仏教で、メモリアル・チョルテンという仏塔の周りを歩いて回る人たちは徳がつめるとされ毎日何時間も回る人がいる。ブータンの通貨はニュルタムで1ニュルタムが1.7円、軍隊で働く月収4万ニュルタムの人は約6万8000円となる。首都の役所で働く人は約9万円、民族衣装の生地を販売する人は約8.5万円などで、世帯平均年収は約70万円となっている。物価は水が500mlで約17円、ビールは650mlで150円、お米は5kgで約600円などとなっている。食生活の変化や農業人口減少に伴い多くの食材を外国からの輸入に頼っている。SNSの普及や異国の文化が流入し外国への憧れを持ち始める若者が増加しているという。近年は若者の価値観が変わりつつあり、お金の優先度が上がっているため、若者のオーストラリア流出が問題に。ブータンでは給料が安く雇用先が少ないことが問題となる中、オーストラリアはビザが取りやすく学生でも時給2000円以上のアルバイトが豊富にあるため出稼ぎに行く若者が急増している。鎖国終了後、外国との関係を強化するためほとんどの授業を英語で行う政策を行い英語を不自由なく使えることになったことで、若者の英語圏のオーストラリアに気軽に行けてしまうため、全人口の約4%にあたる約3万7000人が流出しているという。どれだけ満たされた生活を送れているかが何より重視されている。ブータンでは国独自の方法で幸福度を算出、お金に関する調査はほとんどなく2005年の調査では国民の約97%が幸せだと回答した。最新の調査ではまあまあ幸せという選択肢が追加されたところ、とても幸せと回答する人が激減してしまった。
ブータンでは野菜は日本の半額~4分の1程度の価格。多くの店で売っているのが唐辛子でなくてはならない存在。大人も子どもも唐辛子を生で食べる。7人家族のペマさんは1か月11万円で生活している。首都ティンプーでも家賃は約2万円。唐辛子を大量に鍋に入れて水を少し加え油と塩をふりかけたらヤギのチーズとピザ用のチーズを入れて煮込んだら国民食のエマダツィの完成。主食と一緒に食べる日本の味噌汁的存在。続いてデマさん一家は10人暮らし。弟や親戚なども一緒に住んでいる。
お金がない頃の小さな幸せについて、安藤優子は母親が連れて行ってくれたカルビクッパが忘れられない、今田耕司は全寮制の高校で食べたコンビーフと話した。
ブータンのデマさん宅に。ブータンでは夫は婿養子に入るのが常識で、古くから家を守るのは女性との考えがあり娘が家や土地を相続する事が多い。デマさん夫婦は10人家族で収入は12万円、食費が8万円などとなっているがお金が幸せじゃない、子どもも沢山育てられると話す。ブータン では多くの人がお金は最低限あれば家族の笑顔の方が大事と回答した。子ども達の憧れの職業はパイロット。ブータンのパロ国際空港はヒマラヤ山脈の近くにあり直接進入できないため世界でも特に着陸が難しい。外国で国際免許を取得した後に空港周辺の地形を学んだり特別な訓練を受けて合格しなければいけない。またパロ国際空港は約2300mの高地にあり他の空港以上に天候に左右される。30年以上勤務している50代のパイロットは月収75万円と、ブータンの平均世帯年収を1か月で稼ぐ。建物に仏教の壁画など伝統的な装飾を施すことが法律で定められている。その役割を担うのが伝統画家で、普段は観光客に仏教画を販売している。家に壁画を描くのは4か月くらいかかり、料金は70万円ほどと世帯年収と同じくらいの値段。伝統画家の兄弟は2人合わせて年収430万円ほどだった。
西岡京治はブータンで最も栄誉ある「最高の人」を意味するダショーの称号を国王から贈られた。ダショー称号を得た数少ない外国人の1人だが1992年に59歳の若さで死去、その死を悼み国葬され5千人が参列した。また西岡をたたえる仏塔もある。西岡京治は1933年に医学家庭に生まれ12歳の時に終戦、高校卒業後大阪府立大学農学部へ進学。専門的に研究したのがヒマラヤの農業で、大学卒業後も西北ネパール学術探検隊に参加するなどしていた。1964年にブータン政府から農業技術支援の要請があった。ブータンは高地で気候が厳しく国土の大半は山と谷で農地に使えるのはごくわずか、多くの農家は自給分を生産するだけだった。また都市部では貿易が発達しておらず国内からの供給もかなり限られていた。ヒマラヤの農作物を研究していた西岡は農業指導を行う派遣要請を快諾した。しかし政府から西岡に与えられた土地はわずか60坪。また農業指導は政府が集めた少年達3人だけだった。当時のブータンは農作物が収穫できる農地は貴重で研究用に使えるのは僅かな土地のみ、成人男性も貴重な労働力であり研究のために割けるのは子どもだけだった。
みちょぱはPopteenのモデル時代は自給1000円だったので待ち時間などちょっとでも長く居座れば1000円稼げると話した。
西岡京治はブータンの厳しい状況を理解していたため不満を漏らさず受け入れた。ブータンは1年の寒暖差が30℃あるため農業には厳しいが、寒暖差が大きいほど育つ大根がブータンの気候に合うと考えた。3か月後大きな大根が出来上がった。この大根は村中の評判になり西岡の環境も大きく変わることに。当時国を治めていた第3台国王ジグミ・ドルジ・ワンチュクが国中にもっと大根づくりを広めたいとのことで西岡には2万4000坪の農地が与えられた。その農業試験場でブータンにはなかった白菜・キャベツ・人参などの野菜を栽培した。更に新たに日本の米作りを教え、日本式の稲作により収穫量が向上した。ブータン各地から役人が訪れ西岡の農業技術がブータン中に広まっていった。ブータンに来てから8年目の1972年、3代国王が急逝しまだ16歳の第4代国王が即位した。西岡はその国王から忘れられた土地を救ってほしいとの要請を受ける。シェムガンという地域は首都から車で1日、徒歩で4日かかる辺境の地だった。妻は体調を崩したこともあり連れて行けず子どももまだ6歳だったため西岡は家族を日本に返し一人でシェムガンに向かった。シェムガンに平地はほとんどなく急な斜面ばかりで村人たちの焼畑農業で僅かな土地も荒れ果てていた。西岡はまず安定して収穫できる稲作へ切り替えるため村人との信頼関係を築くところから始めた。村人との話し合いは5年間で800回にも及んだ。荒れた斜面が多い土地を農業が出来る平地に切り開くことや、日本ではコンクリートでの水路が多いがシェムガンにはコンクリートがなく村にあふれていた竹を使い366本の水路を作った。また専門的な知識が無くても作れる吊り橋を17本作り上げた。また並行して現地に定住出来るよう学校や診療所を開設した。稲作にとりかかった2年後、ほとんど採れなかった米が収穫できた。その後も西岡はブータンの気候に合うように野菜の品種改良に取り組んだ。努力は実を結びブータンで農民の意識改革と食料自給率が向上した。また当時は通貨が普及しておらず物々交換で生活する地域も多かったが、商売としての農業が定着した。しかし1992年に敗血症のため59歳で急逝した。西岡は国葬され集まった5000人がお経を唱えた。
東ティモールはインドネシアの東に位置する岩手県ほどの小さな島国で滋賀県とほぼ同じ139万人が暮らしている。2002年5月にインドネシアから独立した21世紀最初の独立国。空前のベビーブームが起きており、学校は1クラス60人超え。この小学校では全校児童1400人、児童は午前・昼・夕方に分けて登校している。学校ではゴム跳びで遊んでおり、10年前には前輪を取り外しウィリーで遊んでいた。別の学校では友達に自分が作ったお菓子を売って日銭を稼いでいる子も。東ティモールの通貨はアメリカドルで、独立して20年以上経った今も使われている。少額の買い物ではセンタボという独自の硬化を使うが多く発行されていないので釣り銭切れになった場合はキャンディーをお釣り変わりになっている。東ティモールはアジア最貧国の一つで平均年収は約24万円。給料がいいとされる教師でも月収約4万5000円。失業率は約40%と言われており若年層の失業率は約6割と半分以上のひとが仕事をしていない。働き口が少ない東ティモールでは海外に出稼ぎに行く人が多く、ショッピングモールの海外送金所では出稼ぎに行っている親族からの送金を待つ人で行列になっていた。東ティモールではみんなアリサンをやっているといい、親族や仲の良い友人同士で月に1回開催される。全員からお金を集めてクジを引き、あたった人が全て貰えるというもの。次の月は当たった人はお金だけ出して参加できず他の人達でクジを引く。
東ティモールで月1回開催されるアリサンはお金を貰える順番を決めているだけなので一見意味がないように見えるが、東ティモールではお金を持っているとすぐ使ってしまう人が多いためアリサンが生まれ、当たれば一度に大金が入り次まで時間があるので無駄遣いも減らせる。またほぼ毎日トランプで賭け事をして遊んでおり何時間も夢中になり、持ち金が無くなるまでやるという。トランプ以外にも宝くじも人気で4つの数字を書いて当たればお金が貰えるというもの。オカさんという人は宝くじで巨万の富を得た東ティモールの大富豪。11人家族のアントニオさん一家に協力してもらい1000円でどれだけの物が買えるか調査。アントニオさん夫婦が購入したのは電気。東ティモールでは電気の基本料金が無くお店で必要な分だけ買って無くなったらまた購入する。今回は150円分で、1週間はもつという。
さらにアントニオさん一家が向かったのは激安の古着屋さんで、1ドル均一で服が買える。またこの日は店主の誕生日記念で半額の50セント均一をやっていた。アントニオさん夫婦はズボン4着、Tシャツ2着を2着購入し、その後は市場で豆腐、小松菜、キャベツ、みかんも購入。1か月の出費は約4万2000円な一方、11人家族の世帯収入は約3万8000円で大赤字だが、家計を支える衝撃的なシステムが。
世界の給与明細はTVer・U-NEXTでも配信。
渡辺えりは親との決まりごとについて、子供の頃にお小遣いをためてアイスを買って友達に配ったが父親に自分で稼いでないのにカッコつけて奢るなと怒られたと話した。藤本美貴は家のルールとして、上に歯向かっちゃいけないとされておりお姉ちゃんたちより怖いものはなかったと話した。
仕事での収入より出費の方が多いアントニオさん一家だが、東ティモールは消費税のほか住民税や固定資産税など税金がゼロのものが多く、公立の学校は高校生までの授業料が無料、医療費も一生涯無料、17歳以下の子どもがいる家庭には給付金も貰える。手厚い国民サービスを支えているのが石油マネーで国の予算の約9割を占めており手当や支援に充てられている。
