60歳で壮絶な脱北を成功させた川崎栄子さん。1942年に日本で生まれた川崎さんは朝鮮半島出身の両親を持つ在日コリアン2世。1959年~1984年に行われた北朝鮮帰国事業では北朝鮮は地上の楽園を歌い約9万3000人が海を渡った。川崎さんも17歳で北朝鮮へ渡ったが北朝鮮の港に着いてボロボロの町に愕然としたという。工場の機械などを作る設計員として働くことになった川崎さんは23歳の時に職場で出会った北朝鮮人の夫と結婚。5人の子宝に恵まれた。北朝鮮人は日本人と結婚すると社会的地位が下がり出世できなくなると言われていたため姑のイジメを受けたという。それでも貧しいながら家族は支え合って暮らしていた。
1991年ソ連崩壊で北朝鮮への物資がストップし大飢饉に。さらに夫が肝臓を悪くして倒れてしまう。川崎さんは不眠不休で働き、子どもたちも懸命に母を支えた。そんな生活を約10年続けたが夫は49歳で亡くなる。北朝鮮の政策は変わらず死亡者が出続ける惨状だったという。子どもたちが独立し、2003年3月に60歳になった川崎さんは脱北を決意。誰にも言わず子どもたちを残して列車やバスで約12時間かけて中国との国境の街・恵山へ向かった。この時ブローカーとは繋がっていなかった。大切に保管していた日本製の服を着て闇市を歩いているとブローカーから声をかけられ、相場の2倍を払いブローカーを雇った。相場の2倍を払ったため本来なら目につく明るい時間にもかかわらず無事に対岸の中国へたどり着いた。中国のブローカーの家に身を潜めタイミングを待つ間、北朝鮮と中国の国境を行き来する仕事をしていた息子との再会を果たす。
1991年ソ連崩壊で北朝鮮への物資がストップし大飢饉に。さらに夫が肝臓を悪くして倒れてしまう。川崎さんは不眠不休で働き、子どもたちも懸命に母を支えた。そんな生活を約10年続けたが夫は49歳で亡くなる。北朝鮮の政策は変わらず死亡者が出続ける惨状だったという。子どもたちが独立し、2003年3月に60歳になった川崎さんは脱北を決意。誰にも言わず子どもたちを残して列車やバスで約12時間かけて中国との国境の街・恵山へ向かった。この時ブローカーとは繋がっていなかった。大切に保管していた日本製の服を着て闇市を歩いているとブローカーから声をかけられ、相場の2倍を払いブローカーを雇った。相場の2倍を払ったため本来なら目につく明るい時間にもかかわらず無事に対岸の中国へたどり着いた。中国のブローカーの家に身を潜めタイミングを待つ間、北朝鮮と中国の国境を行き来する仕事をしていた息子との再会を果たす。
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