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- バカリズム 影山優佳 矢田亜希子 出川哲朗
千葉・稲毛区で大行列ができる人気店の店主ムン・ヨンヒさんは北朝鮮からの脱北者だという。現在は韓国で出会った日本人の夫と結婚し幸せな生活を送っている。ヨンヒさんが子どもの頃、北朝鮮で毎朝行われていたのは金一族の写真を拭くこと。12歳の時、親友の母が生活費を稼ぐため北朝鮮で高値で取引されている海外ドラマなどのDVDを密売し1000人以上の市民の前で公開処刑された。壮絶な経験から7年後、父が病気で他界。22歳の時に祖母が70歳で脱北を決意。ヨンヒさんは祖母を見送ることしかできなかったという。祖母は中国で密入国者として捕まり北朝鮮に強制送還され3ヵ月間刑務所に入った。
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ヨンヒさんは24歳の時に脱北を決意。脱北を手引きするブローカーに当時約50万円の報酬を渡し、家族が捕まるリスクを恐れて1人で脱北することに。列車やバスを乗り継いで約15時間かけて平壌から約325km先の恵山に到着。国境の警備が手薄になる日を待ちブローカーの家に身を潜めた。脱北決意から11日後の深夜2時、ヨンヒさんは中国で使うための携帯電話と脱北に失敗した時に飲む毒薬を忍ばて脱北を決行。ブローカーは脱北を成功させるため国境警備隊に賄賂を渡して決めた時間に警備を外してもらう手筈を整えていた。覚悟を決めたヨンヒさんは連日の大雨で増水し流れが早くなった川を必死で泳ぎ続けた。30分以上かけて何とか中国側に岸に到着。中国は脱北者に対して取り締まりが厳しく捕まると北朝鮮に強制送還されてしまう。次に目指したのは当時脱北の主要ルートとされていた約3200km離れたラオスの韓国大使館。ブローカーと連絡を取り合い合流するはずだったが携帯電話の電波が圏外。険しい山道を2日間歩き続け、食糧を求めて道路へ出て目の前に現れた車に助けを求めた。男性は携帯電話の電波が繋がる場所まで送り届けてくれたという。その後ブローカーと合流し列車やバスを使い2ヵ月かけてラオスへ入国。そして韓国大使館にたどり着き5ヵ月間の保護を経て飛行機で韓国へ渡った。2015年12月、脱北に成功。脱北にかかった時間は210日、移動距離は約7200km。さらに1年後に弟と母も脱北に成功したという。
18年前に脱北したキム・ヨセフさん。1991年ソ連崩壊で物資の供給がストップし北朝鮮の経済政策の失敗なども重なり国から配給される食糧が年々減少。かつてない飢餓に陥った。家族のため出稼ぎに出ていた母は栄養失調で餓死、父も帰って来なくなり残された子どもたちは路上生活を余儀なくされた。やがて姉たちはそれぞれ1人で路上生活しヨセフさんは8歳の弟と一緒に行動した。その後他の路上生活者から姉たちが亡くなったことを知る。
ヨセフさんたちが最後に頼ることができたのは離れて暮らしていた祖父母。空腹に耐えられなかった時は祖父母を頼りわずかに蓄えた食糧を分けてもらっていた。1人だけならなんとか世話ができると祖父母から告げられ、食糧調達が得意だった弟が路上生活を続けることになり弟はそのまま戻ってこなかったという。その後、ヨセフさんは祖父母のもとで8年間育てられた。18歳になった時、8年前に行方不明なり死んだと思っていた父親から雇われたという脱北ブローカーに声をかけられる。父親に会いたい一心で18歳で脱北を決意し育ててくれた祖父母に礼も言えず家を出た。
中国との国境の町・恵山へ約200kmを12時間かけて列車やバスを使って移動。ブローカーが賄賂を渡している国境警備隊から連絡が来るまでブローカーの家で待機。しかし秘密警察に捕まってしまう。ブローカー同士で金銭トラブルがり脱北計画が密告されていた。こうしてヨセフさんの脱北計画は29日で失敗に終わった。冬は-20℃にもなる北朝鮮で最も過酷といわれる白頭山の留置所に連れて行かれ地獄のような日々を過ごす。3ヵ月後に釈放され祖父母と再会。その後ヨセフさんは工場で真面目に働き続けたが父に会いたいという思いは消えることはなかった。1回目の失敗から4年3ヵ月経った2008年4月、ブローカーを雇い二度目の脱北を決意。
TVerとU-NEXTで配信。
脱北に失敗し3ヵ月拘留されたヨセフさん。それでも父に会いたいという思いで二度目の脱北を決行した。国境を流れ川・豆満江を渡れば中国。約20分かけ中国側へ渡り、その後手配していたブローカーと合流し列車やバスなどを使って身を潜めながら少しずつ移動。約180日かけてベトナムへ。さらにカンボジアへ移動し韓国大使館へ。ここでようやく難民として保護され飛行機で韓国へ移送。脱北にかかった時間は270日、移動距離は約10000km。無事に父と再会を果たした。
60歳で壮絶な脱北を成功させた川崎栄子さん。1942年に日本で生まれた川崎さんは朝鮮半島出身の両親を持つ在日コリアン2世。1959年~1984年に行われた北朝鮮帰国事業では北朝鮮は地上の楽園を歌い約9万3000人が海を渡った。川崎さんも17歳で北朝鮮へ渡ったが北朝鮮の港に着いてボロボロの町に愕然としたという。工場の機械などを作る設計員として働くことになった川崎さんは23歳の時に職場で出会った北朝鮮人の夫と結婚。5人の子宝に恵まれた。北朝鮮人は日本人と結婚すると社会的地位が下がり出世できなくなると言われていたため姑のイジメを受けたという。それでも貧しいながら家族は支え合って暮らしていた。
1991年ソ連崩壊で北朝鮮への物資がストップし大飢饉に。さらに夫が肝臓を悪くして倒れてしまう。川崎さんは不眠不休で働き、子どもたちも懸命に母を支えた。そんな生活を約10年続けたが夫は49歳で亡くなる。北朝鮮の政策は変わらず死亡者が出続ける惨状だったという。子どもたちが独立し、2003年3月に60歳になった川崎さんは脱北を決意。誰にも言わず子どもたちを残して列車やバスで約12時間かけて中国との国境の街・恵山へ向かった。この時ブローカーとは繋がっていなかった。大切に保管していた日本製の服を着て闇市を歩いているとブローカーから声をかけられ、相場の2倍を払いブローカーを雇った。相場の2倍を払ったため本来なら目につく明るい時間にもかかわらず無事に対岸の中国へたどり着いた。中国のブローカーの家に身を潜めタイミングを待つ間、北朝鮮と中国の国境を行き来する仕事をしていた息子との再会を果たす。
子ども達の独立を機に脱北を決めた当時60歳の川崎さん。ブローカーの手を借りて中国へ渡った後、日本へ向かう前に中国で働く息子に公安の目を盗んで会いに来た。川崎さんが脱北して日本へ行くと悟った息子は背中を押してくれたという。潜伏生活を続けること1年5ヵ月、中国のブローカーの手を借りてついに日本領事館へ逃げ込むことができた。2004年8月、飛行機で日本へ。44年ぶりに帰国し脱北に成功した。脱北にかかった時間は約500日、移動距離は約1700km。家族と再会を果たしたが帰国して4日目に父が亡くなったという。
矢田亜希子がハカって欲しいことは抜け毛の数だと話した。
バカリズムのちょっとバカりハカってみた!の次回予告。
WBSの番組宣伝。米国日本への政策転換迫る。
