- 出演者
- バカリズム 影山優佳 井森美幸 土田晃之
絶滅危惧商品ミラーボールは現在どれだけ売れているのか計ってみた。創業76年「日照」は日本で唯一ミラーボールを作り続けている会社。ミラーボールは1920年代にアメリカから日本へ輸入され、1940年代にキャバレが登場し全国に普及した。日照初代社長は創業当初からミラーボールを製作し日本のミラーボール界を牽引。昭和の最盛期は年間4000個を販売していた。令和の今は夜の店やカラオケBOXなどに年間300個を販売している。
絶滅危惧商品マッチは現在どれだけ売れているのか計ってみた。現在マッチの製造から箱詰めまでを一括で行う会社は日本で2社のみ。その一つが日東社。国内シェアは7割を超え日本のマッチ製造を支える最後の砦とも呼べる会社。日本でマッチ作りが始まったのは明治初期。インフラが整っていない当時は生活必需品だった。日本製は海外でも高く評価され国内に210社のメーカーがあった。そんな中、昭和になると日東社は広告マッチを展開し業界に革命を起こす。昭和40年代には1日2000万本を生産していた。しかし昭和50年代、100円ライターが登場し売上が激減。競合他社がマッチ事業から撤退する際に箱のデザインをそのまま日東社に譲渡する企業が続出。一時のピンチを脱し今では1日約600万本を製造、年間売上額は約4億円に上る。
絶滅危惧商品・ルーレット式おみくじ器は現在どれだけ売れているのか計ってみた。ルーレット式おみくじ器は自分の星座に100円を入れるとおみくじが飛び出す。日本で唯一作っているのは1962年創業「北多摩製作所」。先代社長が考案したのは1983年。空前の占いブームの到来で最盛期は年間1万台を製造。おみくじの内容は先代社長とその仲間たちで考えたという。現在おみくじ器を造るスタッフはわずか4人。中でも大野さんにしかできない重要な作業は100円玉でしかおみくじが買えないようにするミリ単位の調整。現在は年間700~800台を出荷しているという。
絶滅危惧商品・ポン菓子機は現在どれだけ売れているのか計ってみた。日本で唯一ポン菓子機を作っているのはタチバナ機工。1945年に国内初のポン菓子機が誕生。この機械を生み出したのがタチバナ機工の創業者・吉村利子さん。食糧難に苦しむ子どもたちを目の当たりにした利子さんはポン菓子機の製造を思いつく。住んでいた大阪から鉄の街・北九州へ渡り小さな工場を立ち上げポン菓子機の製造を始めた。利子さんの座右の銘は「ポン菓子機こそ我が命」。昭和30年代には安価で栄養価も高いポン菓子は人気に。昭和40年代で年間約600台を販売していたが、令和の今は年間100台とのこと。
絶滅危惧商品・粉末ジュースは現在どれだけ売れているのか計ってみた。販売価格は約25円で今も駄菓子屋さんに並んでいる。元々は別のメーカーが作っていたが昭和36年に松山製菓が粉末ジュースに参入。当時は冷蔵庫がまだ普及していなかったため長期保存ができすぐに作れる手軽さが重宝された。さらに瓶ジュースより安価で飲めるため海外にも輸出されるなど大人気に。多い時は年間1000万個を突破。しかし平成初期ごろには松山製菓1社のみに。生産量は70%激にまで落ち込んだ。そんな中、粉末ジュースを残すため業務用食品卸の西原商会が企業買収し危機を脱出。西原商会のグループ会社となったことで販路も拡大し現在は年間400万個にまで回復した。
刃先を切削・研磨し、刃を直接触ってチェックする。
TVerとU-NEXTで配信。
絶滅危惧商品を作る中島重久堂に潜入。目視と指先で刃先をチェックしプラスチック容器と合わせたら小型鉛筆削りの完成。絶滅危惧商品・小型鉛筆削りは現在どれだけ売れているのか計ってみた。中島重久堂の小型鉛筆削りの売りは質の高さ。これは三代受け継いできた変わらない技術。小型鉛筆削りは1940年に誕生。最盛期は年間2000万個を製造していたという。全国に競合他社があったがシャープペンシルの普及で小型鉛筆削りの専業は中島重久堂のみに。さらにコロナ禍以降、タブレット学習の増加はさらに需要は低下。現在の年間販売個数は約800万個。化粧用道具として活躍し30ヵ国以上と取引するまでに至ったという。
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- 中島重久堂
住職がお経をあげるときに必要不可欠なものを日本で唯一作っている会社は愛知県にある。素材となるのは国産クスノキ。樹齢300年以上のものを買い付け寝かせておくという。以前番組では命懸けで大木を切る職人・空師に密着。過去最高級のクスノキを市川幸造さんが放送の翌日に購入したという。
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- クスノキ
バカリズムのちょっとバカりハカってみた!の次回予告。
WBSの番組宣伝。
