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「アル=カーミル」 のテレビ露出情報

地中海を代表する商人の町・シチリア島パレルモ。フェデリコ2世は17歳までこの町で育った。当時シチリアを治めていたのはアラブの人々。シチリア島はギリシャ人、アラブ人、北欧のノルマン人など領主を変えながらそれぞれの文化を吸収し独特の文化を築いてきた。子羊や牛の内臓を焼いたギリシャ由来の料理「スティギアラ」、牛の脾臓を煮込んだアラブ由来の料理「ミルツァ」を佐々木が試食。どちらも美味しいとコメントした。フェデリコ2世の母はシチリアから南イタリアまでを治めたシチリア王国の女王。王国の文化を知るためパラティーナ聖堂を訪問。王室のための礼拝堂には黄金のモザイクと鮮やかな色で一面に描かれた聖書の物語や聖人たちの姿がある。シチリア王家はアラビア人も役人として登用しており、礼拝堂の天井にはアラビア文字も確認できる。聖堂の地下にはキリスト教の聖人にまつわる品々が保管されているが、箱の外側には鷹狩りの絵が。鷹狩りはそもそもアラビアで盛んだった風習で、フェデリコ2世も好んで行っていたという。
フェデリコ2世は18歳の時、ドイツで神聖ローマ帝国の皇帝に即位。父が神聖ローマ帝国の皇帝だったフェデリコ2世はドイツからシチリアまで広大な領土を支配することになった。即位の後ろ盾となったのはローマ教皇で、十字軍を率いることを誓わされた。戴冠後はシチリアを出てイタリア半島に住まいを移し「ルチェーラ」という町を築いた。フェデリコ2世の宮殿跡からはアラビア文字が描かれた水差しなどが見つかっている。イスラムと戦うと誓ったフェデリコ2世だったがシチリアから多くのイスラムの人々を移住させともに暮らしていた。1227年、いよいよ十字軍を率いることになったフェデリコ2世はエルサレムとは反対方向のポッツォーリへと進み湯治に明け暮れた。出発から1年たってもイタリアから出ようとしない十字軍に教皇グレゴリウス9世は激怒。フェデリコ2世を破門した。それでも進軍させなかったフェデリコ2世は当時のアイユーブ朝スルタン・アル=カーミルと頻繁に手紙のやりとりをしていた。二人は哲学や数学などの学問を通し交流を深め次第に互いをたたえあう仲になっていった。
手紙のやりとりをすること3年、1229年2月、フェデリコ2世とアル=カーミルは突如驚きの合意を発表する。主な内容は2つで「10年間の不戦」「エルサレムの明け渡し(イスラムの聖地を除く)」。合意の翌月、フェデリコ2世はエルサレムに入城し無血での開城を果たした。ヨーロッパ中世史研究の第一人者フルビオ・デッレ・ドンネ教授はフェデリコ2世について「歴史上こんなに並外れたリーダーはいません。戦争状態のなかでは武器を取ることより武器を捨てるほうがはるかに難しいですから」などと評している。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年12月4日放送 1:36 - 2:36 NHK総合
世界熱中ひとり旅佐々木蔵之介が行く 南イタリア
地中海を代表する商人の町・シチリア島パレルモ。フェデリコ2世は17歳までこの町で育った。当時シチリアを治めていたのはアラブの人々。シチリア島はギリシャ人、アラブ人、北欧のノルマン人など領主を変えながらそれぞれの文化を吸収し独特の文化を築いてきた。子羊や牛の内臓を焼いたギリシャ由来の料理「スティギアラ」、牛の脾臓を煮込んだアラブ由来の料理「ミルツァ」を佐々木が[…続きを読む]

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